2011年の株価は?

 マスコミでは2011年の景気予測が盛んだ。特に株価予想では多くのエコノミストが上昇を予想している。外れた時の言い訳を用意しているのがエコノミストのやり方だから、彼等の多くは条件付きの予想だが強気なのは共通している。テレビなどでは慎重な言い方が多いが、週刊誌となるとギンギンの強気予想もあったりする。その中の一つには、今年中に13,000円を超え、来年か再来年には18,000円まで行くというのもあった。こうなると眉つばと思っても楽しくなるから、人間は欲が絡むと冷静ではなくなると我ながらあきれてしまう。週刊誌も閉塞感が強い時だから、景気の良い予測を載せた方が良いと考えるのだろう。

 それでも40年近く株をやっているとそう簡単には甘い言葉には乗せられなくなる。自分でも愚かだと思うことは度々だが、それでも経験から学ぶこともあるのだ。学習したことの一つはバブルは必ず崩壊するということで、株にしろ不動産にしろ上がったら浮かれないで、いつ処分するかを考えることが大事だということ。もう一つは評論家とか専門家の意見は信用するなと言うことだ。彼等のほとんどは自分の都合で(もしくは雇い主の都合で)予想をしているだけで深い根拠があるわけではない。彼等の予測は環境要因を簡単に分析して可能なシナリオの幾つかを呈示するもので、こうなるという予測ではない。株の予測と言っても上がるか、下がるか、横ばいかなので何か言えば当たらずとも遠からずなのである。

 昔株で大儲けをした主婦が言っていたが、株の専門的なことなど良く分からない彼女が持っていたルールは、専門家の言うことは信じず、状況を見ながら専門家が言うのと反対のことをやるということだった。もちろん彼女は運が強くある種の嗅覚が鋭かったのだと思うが、その言っていることは大変正しいと思う。

 学者とかエコノミストが語るのは過去の事実の分析であって、それからはこれからどうするかは分からない。あることが起こる確率が等しいような状況で意思決定をする場合、最終的には勘とかひらめきの勝負になるので、そこで理屈を言っても始まらない。さいころである目が出る確率は6分の一だが次の試行である目が出るのは6分の一ではないのと同じだ。6分の一はさいころを投げると言う試行を限りなく繰り返せば、6分の一に近づくと言うだけで、次の試行がどうなるかは勘とか流れを読むことに依存している。株も同じで買ってゆくか控えるか、またどの株が良いかなどは人の意見を聞いても結局分からない。自分で分析して決める以外にないのだ。

 わたしは今年は上がる方に賭ける。それなりの理屈はあるが、それよりもリーマンショックの負けを少しでも取り戻さなくてはならないからだと言う方が説得力があるかもしれない。昨年末で証券会社にある資金のうち60%が株で40%が現金だったが、株を比率をもっと高めてゆくつもりだ。もちろんいつ逃げるかを常に考えながらやるのは言うまでもない。