村上佳菜子選手の戦略

 全日本フィギュアで浅田真央選手がSPでトップに立った。このところ不調だっただけに多くのファンが喜んでいるようだ。私も浅田が元気なのを見るのは嬉しいが、本当のところは今大会はダメでも良いではないかと思っている。バンクーバーのオリンピックが2月に会ったばかりだ。そこに焦点を定めて練習をしてきて銀メダルを取ったばかりではないか。次のオリンピックでの活躍を目指すなら、バンクーバーでの肉体的、精神的疲れを取り、もう一度基本からやるくらいでいい、そう考えて彼女を見守るのがこの類稀な才能を持った選手への接し方であるべきだろう。それを少しの間調子が落ちたからと言って、それは次の飛躍へのステップだと考えるべきなのに、徒に騒ぐのは愚かしいと言うしかない。毎度のことだがマスコミの近視眼的な取り上げ方には辟易する。

 一方で村上佳菜子選手は成長著しくGPシリーズでは浅田を上回る成績だった。軽やかなジャンプと愛らしさはスター性を感じさせる。しかしわたしはもう一つ好きになれない。村上本人と言うより村上のスケート戦略に違和感を感じてしまうのだ。当然ながらこれは村上本人の問題ではなく、彼女を指導しその戦法を考える大人たちの問題である。もちろん彼女のパフォーマンスに対してそのような批判は聞かないから、私のような天の邪鬼の好みの問題かもしれない。それでも違和感は拭えないのだ。

 わたしが村上の戦略を好きになれないのは、彼女を16才のスケーターとしてアピールしようとする点が過剰に感じられるからだ。コスチュームも振付も'わたしは16才よ、可愛いでしょ'という点で統一されている。もちろん16才なのは事実だから、20歳の選手が着るコスチュームは似合わないし年相応のものがあるだろう。しかしそのことと年齢を意識してアイドルのような可愛さを強調するのとは違うと思う。

 またその戦略は彼女が浅田の妹分を意識して作られていることにつながる。そうした点は彼女が優れたパフォーマンスを続けることで、周りが自然にそう評価すべきものだ。アイドルのような可愛さと浅田の妹分をことさらに強調するような戦略には、センスの悪い大人の知恵を見るようだ。今のところそれが成功しているようで、TVなどが手放しで賞賛しているのを見ると余計に気分が悪くなる。

 浅田がすい星のようにわれわれの前に現れた時は、村上のように可愛さを強調したものではなかったと思う。15歳でGPファイナルで優勝した時も、シニアの選手と対等に勝負を挑み圧勝した。トリノオリンピックには年齢制限に87日足りずに行けなかったが、明らかに荒川静香を上回る力を示していた。伊藤みどりに憧れていたと言われるように、当時の浅田には高度なジャンプに挑むアスリートの雰囲気が満ち満ちていた。そんなスケート選手としての姿勢と愛らしい仕草や発言のギャップにファンは魅了されたのだと思う。浅田が見せたのは懸命に高度な技に挑む姿だけだったが、私達はそれ以上の何かを感じて彼女のファンになったのだ。それはトリノの金は本来浅田のものだったという思いとして私の心に残っている。

 それと比較するとあまりに作られたような村上のパフォーマンスは何か違っていると思う。繰り返すがこれは村上の問題ではなく周りの大人の問題だ。彼等は大いなる勘違いをしている。村上がその可愛さを打ち出そうとするなら、アスリートとして打ち込む姿を見せるだけのほうが効果的なのだ。振付や衣装でそれを強調するのは決して賢い方法ではない。こうした見方は本当に少数者なのか知りたいと思う。