強欲資本主義を超えて;神谷秀樹

 この表題は神谷秀樹(みたに ひでき)氏の新しい本の題名である。サブタイトルが'17歳からのルネサンス'であり、若い人達へ向けたメッセージである。
 神谷氏は2008年に'強欲資本主義 ウォール街の自爆'という本を書いて、アメリカの金融界の変質と腐敗を描きだし、サブプライム危機が何故起こったかを見事に説明して見せた。わたしが今回の金融危機について読んだ多くの本の中で最も説得力があった本である。今度の本はそれを若い人向けに書き直し、かつ'戦争と平和'、'文明の進歩'、'生きてゆくための価値観'などにテーマを広げている。少しきれいごとにすぎるかなと感じる点もあるが、氏の現状に対するまっとうな怒りとそれを正しく若い人達に伝えることへの責任感、若い人達が叡智を持って現状を改善することを信じる気持ち、などが率直に述べられていて、共感を呼ぶ本に仕上がっている。前著を読んでいない方は読まれたら良いと思うし、是非若い人達に勧めて欲しい本である。

 神谷氏の本が説得力があるのは、氏が1984年からニューヨークに居を構えているバンカーだからである。住友銀行からゴールドマンサックスに転職してNYに移住して、1992年には自らの投資銀行を設立し現在にいたっている。その四半世紀にわたるNYでの金融ビジネスの経験から、最近の博打のような金融マーケットに疑問を感じ、良い技術を持っているが資金的な限界で事業を拡大できないでいる中小の企業を探し出して融資をするという、本来の投資銀行の役割を果たそうとしているそうだ。

 サブプライム危機以降、数多くの学者やエコノミストが金融マーケットの現状や今後について様々な論評をしてきたが、それらのほとんどが説得力に乏しかったのは、彼等がNYの金融マーケットを実際には知らず、第三者の立場からものを言っていたからである。大学の相撲部にいて、かつ相撲の歴史や技に詳しいからと言って、プロの相撲取りの勝負の厳しさが分かるはずはない。将棋の世界でもプロとアマチュアの差は大きいし、麻雀の歴史やルールに詳しくても、有り金を全て賭けるような勝負をしなければ本当の麻雀は分からない。ましてや巨額の金を操作して勝ち負けを競う世界である。投資と言えばインサイダーに近いような情報をもらって、せこく勝つことだけしか知らないような学者や評論家は結果を見てから当たり障りのない論評をすることしか出来ないだろう。神谷氏の意見は修羅場を知っているからこそ貴重で重みがある。


 神谷氏の前著の一説を紹介しよう。「人間が作った法律の前で'盗み'でさえなければ、神の前では明確な'盗み'であっても全く気にしない人間が著しく増えてしまった。彼等は'違法'と'合法'の境目の中で、'合法'-弁護士を数多く雇い、ルールを守っていると看做せる限り何をやってもいい、と考える人々だ。神の前でフェアであるか、否かなどは問われることはない」 神谷氏の言う'神の前'は日本では'お天道様が見ている’だったろうし、'閻魔さまに舌をぬかれる'だろう。この国でもこうしたまっとうな感覚がどんどん無くなってきていて、それで良いという風潮になっている。それを煽っているのがテレビをはじめとするマスコミなのが一層気分を悪くさせる。

 私たちが小さかった1960年頃は日本にも、今と違う本当の貧しさがまだあった。そんな時私たちは将来豊かになることを希求しつつも、世界にはもっと貧しく飢餓にあえいでいる人達が沢山いると教えられ、そうした格差を減らす気持ちを持って生きることを教えられたと思う。それから50年たって科学は大きく進歩し、私たちの生活は便利に豊かになったけれども、世界での貧富の差は減少するどころか拡大しているように感じる。そうした原因の多くは先進国の身勝手さによると思うが、特に米国の金融市場は罪が深い。彼等が巨大な資金の投資先として希少な資源などに注目する時、世界全体の利益や、そうした資源を持つ国の人達全体の利益を考えているとは思えない。世界の頭脳が集まるNYの金融市場に対抗するのは簡単ではないとしても、彼らのやり方が明らかに世界を悪い方向へ導いていることはきちっと胸に刻んでおくべきだろう。我々は思慮なくそんなやり方を真似してはいけないのだという気持ちを持ち続けることがまず第一歩だ。

 民主党代表選で'一に雇用、二に雇用、三に雇用'と叫んだ管首相にはそうした意識があるのだろうか。要するに哲学を持った政治家か否かという問題である。確たる哲学があれば、経済も外交も、決して簡単に答えが出る問題ではないけれど、しっかりした姿勢は保てるはずだ。そうした姿勢を保ち続けることが、相手からは毅然たる態度ととられるのであり、哲学もないのに毅然たる態度をとり続けられたら危なくてしょうがない。テレビのキャスターたちも安易に毅然たる対応をなどと言うべきではない。

 若い人達にはくだらないニュース番組を見るよりこうした本を読んで、広い視野を持って色々な出来事を判断、理解して欲しいとつくづく思う。