ドキュメンタリー「響け 町の歌声」を見て(2)

前回、野田智義氏、金井壽宏氏のリーダーシップ論を紹介して、サウスオキシーという小さな町で多くの人を巻き込んで合唱団を作り、コンサートまで行ったギャレス・マローンの行動がそのリーダーシップ論の具体的事例だと書いた。

野田、金井両氏はリーダーは見えないものを見るのだと言う。ギャレスがサウスオキシーを訪れたのは、そこの牧師から音楽を通じて町に活気を、住民に一体感を与えてほしいとの要請を受けたためである。従ってギャレスは初めから目的について説明を受けていたし、全くのゼロからのスタートではない。見えないものを見たとは言えないのではないかとの疑問が生じるかもしれない。

しかしギャレスの胸の内には初めから一つのストーリーが描かれていたのだろうと思う。合唱団を作り、練習を重ね、最後はコンサートを行うというプロセスの中から、メンバーの間に一体感が生まれ、それは他の住民にも作用し、町の活性化につながるというシナリオだ。そんなことは彼以外の誰も考えていないし、話したとしても信じなかったろう。現に町で影響力のある元ボクサーに話しても、彼はギャレスの試みの成功には懐疑的だった。そういう意味で彼は人が見えないものを見ていたのだと思う。


実際彼が合唱団作りを呼び掛けた時の住民の反応は極めて冷淡なものだった。諦めない彼は老人の集まりでの歌声を聴き、その人たちを引き入れることから始めた。83歳の老女がメンバー第一号となった。その人たちの助けを借りてリーフレットを配ったり説得を続けた結果、学校のホールで最初の練習をする日には百数十人の参加者があったのである。ビジョンを描いたら、その実現のためにまさに一人で旅を始めたといえる。


練習を始めてもまるで素人の集まりだから上手くはいかない。しかし彼は根気よく、工夫を凝らして指導を続ける。参加者は合唱を行うことの喜びを感じ、ほとんどの人にとってずっと若いギャレスについてゆく。フォロワーになってゆくのである。

ギャレスは進歩に合わせて具体的な目標を掲げる。最初は町の商店街での野外コンサート、次は近隣の裕福な町にあるカテドラルでの音楽会への参加、最後は別に指導していた小学生の合唱団を加えての町を挙げてのフェスティバルでの合唱である。勿論最初からそれをメンバーに伝えるわけではない。徐々にポップス系の歌からミサ曲へと課題を高めて行く中で、一段一段目標を上げてゆくのである。この辺りのギャレスの指導力は抜群だが、一方で彼の評判により多くの音楽関係の人や他の街の学校や教会が協力してくれるのを感じる。普通ならこうは上手く物事が運ばないだろう。

ギャレスは合唱の指導の時に住民の一体感とか、町の活気作りなどとは言わない。しかし合唱団に参加することでメンバーは知り合いが増え、買い物の時などに自然と挨拶を交わすようになる。そしてメンバー達はギャレスが目指しているものが何となく分かるようになるのだ。まさにリーダーシップが発生する過程そのものだ。この話が多くの人の琴線にふれるのは自然な形でリーダーに従い、一体感を持って目標に向かうプロセスを見せてくれるからだと感じる。


合唱団は単なる住民の集まりである。何の利害関係もないし利益共同体でもない。だからこそリーダーシップがないと決して上手くいかない。ギャレスの類稀なリーダーシップとフォロワーとしての住民のギャレスへの信頼が成功の鍵だったと思う。


こう考えるとビジネスでのリーダーシップが胡散臭い理由が分かってくるようだ。会社におけるリーダーシップはこんなにピュアなものではないからである。平社員は課長の言うことに従い、課長は部長に、部長は役員や社長に従う。それはたいていの場合上に立つ人のリーダーシップのせいではない。サラリーマンだからそうしているのである。身も蓋もない言い方をすれば給料のためだからだ。そこに安易な形でリーダーシップを持ちこむから話がややこしくなる。
勿論、会社にもリーダーシップは必要だ。しかしそれは本来の意味でのリーダーシップではない、会社に特有な形のものだと理解して話を進めないと混乱を増すだけになるだろう。