ドキュメンタリー「響け 町の歌声」を見て(1)

NHKBSで2月9日から12日までギャレス・マローンという合唱団指揮者の活動を追った表題の番組を放送した。 これはギャレスがサウスオキシーというロンドンの北16Kmにある人口12,000人の小さな町で合唱団作りを呼び掛け、住民を説得しながらコンサートを開くまでの経緯を描いたものである。彼は8か月の期間で様々なチャレンジをして、いくつかのグループに人前で歌うことの楽しさと達成感を体験させるのだが、そこに至るまでの苦労が描かれている。


サウスオキシーというのは第二次世界大戦後にロンドンで家を失った貧しい層の人達が住んできたところで、周りにある富裕者の住宅地区からは敬遠され、その住人の多くも町に対する誇りを持てず、一体感にも乏しいと紹介されている。 ギャレス・マローンは合唱などにまるで興味のない人達も巻き込み、合唱団を通じて一つの目標に向かって努力をすることで住民たちの一体感や誇りを取り戻そうとする。


ギャレス・マローンは30歳代の前半らしいがハンサムな人で、ウェブサイトによると2005年に優等でロイヤル音楽アカデミーを卒業しロンドン交響楽団で音楽普及活動やコーラスの指導を行ってきた。彼を有名にしたのはランカスター校と言う男子校で嫌がる高校生を説得して合唱団を作り、ロイヤル・アルバート・ホールでのコンサートを成功させたことを描いたBBCの番組だとのことだ。今回のサウスオキシーでの合唱団作りもBBCの企画だということ、彼が既に有名人だということ、ドキュメンタリーなのでカメラで撮っていることなどを考慮すると、スクラッチからこうした活動を始めるのとは全然違うとは思う。それでも経済的にに決して豊かではなく、明るい気持ちも持てない人達をまとめて、一つのことをやり遂げようとする過程は感動的である。

町の若者に影響力を持つ元プロボクサーと信頼関係を築いて力を借りようとして、彼のジムでスパーリングをするなど脚色された感じが強い場面もある。しかし最近引っ越してきたが、町の若い住民から嫌がらせを受けて不幸な気持ちで暮らしていた若い黒人女性とその子供たちが躊躇いがちにコーラスの練習に参加し、歌の上手さから母親が初めてのコンサートではソロを任されるシーンや、学習障害を持つ少女が子供達の合唱団のお披露目を教会で行った時にエリック・クラプトンの'Tears in the Heaven'の最初の部分をソロで歌うシーンなどは泣かされる。
宣伝をするわけではないが、見逃した方はNHKオンデマンドでお金を払っても見る価値があると思う。


ギャレスの音楽活動については多く人が書いているし、その方面に詳しい人の意見を読むのが良い。わたしはビジネスマンの視点から感心したこと書こうと思う。わたしにはギャレスの活動はリーダーシップとは何かという大変ややこしい問題の対する具体的な答えになっていると感じたのである。

わたしは長いことビジネスの世界でのリーダーシップという言葉が嫌いだった。ビジネスの世界で言われるリーダーシップは何か胡散臭い。多くのビジネス誌やビジネスセミナーでリーダーシップを発揮して部下にやる気を起こさせる方法とか、偉人に学ぶリーダーシップという記事の広告を見る度に、私は何かおかしいぞ感じていたし、やたらリーダーシップを行使しようとする人とは出来るだけ関わり合わないようにしてきた。リーダーシップとは長い間の経験や学習とその人の教養が融合して作りだされるものだろうと漠然と考えていたので、日常で眼や耳にするリーダーシップはいかがわしいものだと感じていた。


しかし45歳の時に人事の仕事をするようになり、リーダーシップとかマネジメント力とかを避けているわけにいかなくなった。人事が関与する教育訓練の多くはリーダーシップとマネジメントに関するものだったからである。リーダーシップという言葉にある種の偏見を持っていた私に抵抗なくすんなりと、その言葉が意味するところを理解させてくれたのが野田智義氏と金井壽宏氏の共著「リーダーシップの旅」(見えないものを見る)だった。この本は「リーダーシップに興味のわかない皆さんへ」という序章で始まる、まさに私にぴったりの本だった。

この本が繰り返し説いていることを、野田氏の文章から少し長くなるが抜粋して紹介しよう。

'リーダーシップは「見えないものを」を見る旅だ。ある人が、「見えないもの」、つまり現在、現実には存在せず、多くの人がビジョンや理想と呼ぶようなものを見る、もしくは見ようとする。その人は実現に向けて行動を起こす。世の中ではよく、リーダーはついてくる人(フォロワー)を率いる、リーダーシップはフォロワーを前提とするなどと言われるが、わたしはそうは思わない。旅は一人で始まる。

フォロワーは旅の途中で現れる。リーダーと出会い、一緒に旅をする。しかも、この時点で、しばしばリーダーは自分のリーダーシップには気付かない。見たいものを見、やりたいことをやり、自身が描く目標に向かって歩いているだけで、自分がリーダーシップを発揮しているとは意識しない。リーダーとフォロワーが、実現したい何かに向かって、ともに旅という時間と空間を過ごすプロセスで、お互いの間には一種の共振関係が生じる。決して一方的な関係ではなく、相互の影響がそこにはある。その中で、リーダーが見る「見えないもの」がフォロワーにも共感され、いつしかフォロワーの目にも「見えないもの」が見え始める。そんなリーダーの行動がフォロワーに向けて醸し出す「フェロモン」と、フォロワーが感じる賞賛によって、リーダーシップは結果として成立する。リーダーは、リーダーになろうと思ってなったわけではなく、「結果として」リーダーに「なる」のだ。’

これを読んだ時私の中のもやもやが消えてなくなった。わたしが漠然と整理出来ずに持っていたイメージを見事に表現している。もちろん旅とは比喩で普通の人に見えないものを見て、それにチャレンジする過程をさしている。野田氏はリーダーは結果としてなるものだと言っているが、同時に見えないものを見る能力がある人、分かりやすく言えばビジョンが描ける人がリーダーになる素質を持つと言える。

次回ではこのリーダーシップの捉え方に従ってギャレス・マローンの行動を分析し、リーダーとは何かを考えててみたい。