2009年のがっかり

世界3大がっかり(Disappointment)というのがある。シンガポールマーライオンコペンハーゲンの人魚姫、ブリュッセルの小便小僧といわれているが、有名な割に実際見ると大したことがないということだろう。これらは皆小ぶりで地味な感じがする点で共通している。シンガポールはそうした評判を気にしてか、セントーサ島に大きなマーライオンを作ったが、それを見ても'だからどうした'という印象なので、大きければ良いといったものでもないようだ。

マーケティングの理論では満足度は期待と実績の関数だとなっている。期待値があまりに高いと良いパフォーマンスを出しても満足度は高くない。よく使われる例だが、洗剤の広告で白くなることを強調しすぎると汚れがよく落ちても満足度はあまり高くなく、汚れ落ちが同じかやや落ちるが白くなることを強く訴求していない商品のほうが良い印象を持たれる場合があるという。


今年の出来事でわたしにとってがっかりだったことをあげてみよう。軽い話題ではボクシングの内藤大助亀田興毅の試合である。亀田が初めてまともな日本人選手と戦うということ、亀田が序盤KOを宣言していたことなどから期待が高かったが、内容は全くの凡戦であった。素晴らしい試合と興奮していたのはTBSのアナウンサーだけで、実態はガッツ石松がいみじくも指摘したように東洋タイトル戦レベルのものだった。最大の原因は亀田の試合ぶりである。徹底したヒット・アンド・アウェイの戦法でポイントで勝つことだけを考えた、KOなどはとても期待できない内容だった。日頃のビッグマウスとは正反対の試合運びは賢いというより、彼の気の小ささ、臆病さをはっきりさせた。この点だけがこの試合の収穫だろう。

私はCSで放送する日本、外国のほとんど全てのボクシング試合をを見るファンだが、タイトルマッチというのは挑戦者がチャンピオンを文字通り倒してベルトを奪うものだと思っている。判定で勝つことはあっても、それは倒しに行って出来なかった結果のものでなくてはならない。判定ならチャンピオンの勝ちだと考えて試合をするべきである。亀田はそうではなかった。小賢しい戦法で挑戦者の気概など見られなかった。相手がピークを過ぎた内藤だからポイントで勝てたものの、こんな臆病な試合ぶりではちょっと強い相手には全く通用しないだろう。従って弱い相手を見つけてやることになるのだろうが、そしてTBSはそれで羊頭狗肉の商売をするのだろうが、ファンの目はごまかせない。こうしたことを続ければボクシングもTBSも衰退してゆくだろう。ガッツ石松のような骨のある男に、思慮のない実況をするアナウンサーを叱りながら本音の解説をしてもらうしか防ぐ術はないと思う。


もう一つのがっかりは自民党総裁選である。勇敢にしかも最もまともなことを主張し提案した河野太郎氏が、自民党の長老が仕掛けた策略により惨敗したことである。'みんなでやろうぜ'の谷垣氏も自民党の中ではまともな政治家だが(民主党の大半の政治家よりもよほど程度が良い)、党存亡の危機にある時にこんなスローガンを掲げて、かつ大幅な改革を避けていては党再生など出来ない。これだけ危機的な状況なのだから多くの自民党議員が長老支配をやめて清新なイメージの党を作るべく行動することを期待したが多くの議員はプールの飛び込み台からダイブする勇気ほどもなかった。

総裁選で河野氏が勝っていれば自民党は来年の参院選、その後にくる衆院選で挽回の可能性があったろう。まして民主党がお粗末な実態をさらけ出し、昔の自民党のような二重支配を行っている時だからこそ、有権者自民党に戻る可能性は高いのだ。しかし自民党の長老たちは自らの保身のために再生のチャンスを逸し、一層の混迷状態に陥り、有権者の支持を失い続けている。100歩譲って河野氏が総裁選で勝たないまでも、僅差の勝負だったらまだかすかな望みはあったのだ。

自民党が再生し強力な野党になることは、民主党にも脅威であり緊張感を生む。健全な議会政治が達成できる条件になるのだ。来年の参院選でまた民主党が圧勝したら一層独裁色を強めるだろう。民主党の問題点は与党としての見識を持った政治家の数が極めて少ないことである。その結果一部の幹部に盲目的に従うか、情緒的な愚かしい対応しかできなくなる。この国の将来を信頼して託すにはリスクが高すぎるのだ。これまでの鳩山内閣民主党幹部の議論を見ていても、大半の議員の能力不足は明白である。旧社会党議員はバッチをつければ上がりでその先の展望などないと言われたが、民主党の可成りの議員も与党になって、大臣や副大臣になれば十分と考えている人が多いように感じる。

この意味で河野太郎氏を潰した自民党の長老たちは、自らの党だけではなく日本の将来を危うくしたのだ。こんなにがっかりしたことはない。