新聞の選挙予測記事に思うこと

 新聞(記者)が何かの記事を書く場合そこには何らかの意図がある。伝えたいメッセージがある。事実を伝えるだけではなく、その事実が持つ意味を伝え、読者がそこからなにかを感じる、または学びとることを期待しているのだと思う。こう考えた時、新聞の選挙予測は何かを意図しているとは思うがそれがはっきりせず、なんとなく胡散くさく感じる。

 12月6日の朝日新聞朝刊は’自民、単独過半数の勢い、衆院選序盤、朝日新聞調査’との記事が、一面トップの見出しで載った。この記事は朝日新聞が全300の小選挙区有権者を対象に電話調査を実施し、それに全国の取材網の情報を加えて、公示直後の序盤情報を探ったとしている。それによると(1)自民は過半数を確保する勢い(2)民主は惨敗で100議席を割り込む公算が大(3)第三極の日本維新は50議席前後(4)日本未来の党比例区で8議席前後だが小選挙区は苦戦とのことだ。

 また調査時点では投票態度を明らかにしていない人が小選挙区で約半数、比例区で約4割いて、今後情勢が大きく変わる可能性があるとも付け加えている。

 この記事を読んだ時、やはり何か嫌な感じがした。その気持ちを分析すると以下のようになるのではないかと思う。
1.これは誰に何を伝えたいのかが良く分からない。読者に調査結果を伝えるのだという説明では説得力がないだろう。要するに記事の意図が分かりにくい。
2.調査の信頼性に対する疑問が捨てきれない。電話調査は受け入れるとしても、全国の取材網の情報とは何だろう。電話調査の結果は数字であらわされるだろうが、取材網の情報とは定性的なものではないのか。情報の内容が分からない上に、数字の結果にどのように取材情報を付け加えるのかが分からず、恣意的な調整が加えられているのではという疑念が残る。

 意図は巧妙に隠されているようだが、良く考えるとこの記事は次のような目的で書かれたのではないかという気がする。この時点で投票先を決めている人の多くは、今後も支持する候補者や政党を変えないだろうから、約半数の態度未決定の人達へ影響を与えようとしている。どんな影響かというと、態度未決定だがどちらかと言えば自民党が良いと考えている人は安心するが、他の政党(ここでは民主、維新、未来)の方がいいかなと思っている人は危機感を持つ。その結果、どちらかと言えば自民党という人は投票に行かないか、あまり自民党が勝たないように他の党に投票するが、他の党のほうがやや良いと思っている人は、投票に行く気持ちが強くなるし、自民以外に投票する。その結果、自民勝利は変わらなくても、他党との差は少しは小さくなる。
 また選挙に行かない約四割の人達への影響は分からないが、反自民の人達への何らかの効果は期待できるかもしれない。

 要するにこの時点で’自民、単独過半数の勢い’という記事を書くことは、自民党の勢いを投票日までに削ぐことを狙っている意図があると感じられるのだ。’新聞は社会の木鐸’と言われた時代もあったのだから、朝日新聞自民党が圧勝するのは望ましくないと考えて、記事を書くことはありうることだ。しかし、そうなら堂々とそう書くべきで、わけのわからない調査の結果報告にかこつけて世論を誘導するかのような記事を書くのは良いやり方とは思えない。

 それはお前の邪推だと言われるかもしれない。しかし新聞を読むのは中年以上だけで、20代、30代の人は新聞などとらないという事実を、新聞社の人達は謙虚に見るべきではないか。新聞の記事は前述した’社会の木鐸’と言われた時代の名残か、いつも上から目線で書かれて偉そうだし、もしくは何か意図を持っているのに隠しながらあるメッセージを伝えようとしていることを若い人は感じてるのだと思う。

 もはや新聞記者が数少ないインテリだとい時代は終わって、少なくない読者が色々な分野で新聞記者以上の知識を持っていたり、海外の事情に詳しいのに、新聞社の人達はそのことが理解できてなく、自分たちはより高い教養と情報と判断力を持っていると勘違いして記事を書いている。要するに若い人達から見て新聞は時代に遅れているのに、それが分からない存在としかみられていないのだ。

 信頼できにくい調査をもとに選挙予測をし、上記のような記事を書くことはこうした新聞への不信を増すばかりだと思う。明治以降の歴史を見ていると確かに新聞は世論に影響を与え続けてきたが、それは冷静に国際環境や経済状況を分析したのではなく、情緒的な記事で大衆を煽るような形で影響を与えてきた。選挙の予測記事を見ていると、新聞は明治から第二次大戦までに行ったことと同じことを再びやるのではないかと、少なくとも昔からの体質を持ち続けていると、考えざるを得ない。
 読者がよほどしっかりとしなくてはいけないとつくづく思う。