ギャップ・クロージャーを政治にも

外資系企業などではギャップ・クロージャー(Gap closure)という言葉がよく使われる。あるべき姿と現状の差をギャップとし、それを解消することを指している。具体例をあげてみよう。内部統制の徹底という観点から言うと、ある一連の業務で不正やエラーが起こらないような実行プロセスが求められた場合、実際の業務プロセスがその目的に沿っているかどうかを検証し、不正やエラーが起こる余地があるか、起こった場合それを発見できる仕組みが備わっているかをチェックするものである。

また人材育成におけるスキルアップ等でも使われる。ある部門の課長職について、求められる知識やスキルを、担当業務、担当以外の部門業務、会社全体の目標や戦略、部下の管理やリーダーシップの発揮などの分野で記述し、それらを現実に当該の課長が保有しているものと比較して改善すべき点を明確にするという使い方である。

確認されたギャップは解消されるべく必要な対応をとるわけだが、前者の例では現実のプロセスに必要な変更を加える、後者では有効と思われる訓練プログラムに参加するとか、必要な本を読むとかになる。こうしてギャップはクローズされるのである。


重要な点は、ギャップを発見するベースとなるあるべき姿(目的とか望ましい業務プロセス)が企業の経営原則や戦略からみて妥当であることである。さらにギャップが確認されたからと言ってやみくもにクローズすればよいと言うものではない。ギャップが持つ重大性(問題の起こる頻度や可能性、起こった場合の金銭的な損害)の評価と、ギャップをクローズするためのコストの比較においてなされるものである。ある分野で複数のギャップが確認された場合は、前述のリスクの重大さの観点から優先順位をつける必要がある。

もう一つのポイントは現状の分析評価が客観的で公正なものでなくてはならないということである。上記の現状の業務プロセスの分析は当該部門ではなく第三者がすべきであるし、スキル改善については現状評価は本人と上司の共同作業にするとかの工夫が必要である。 いずれにしろまともな企業は継続的にこうした作業を行うことによって、組織や人材の評価・見直し・改善を行っている。すなわち、ステークホルダーが納得できるような透明性のある意思決定・管理システムをベースに事業活動を行っているのである。


こうした点から見ると政治の世界はいかにも旧態依然としている。今民主党マニフェストが実行できないということで説明を求められている。普天間基地移転、子供手当、高速道路無料化などがよくあげられているが、これらについては予算がないというだけで、優先順位は不明だし、子供手当以外はいつどういう形で完全に実施するかということも明確ではない。普天間基地などは社民党がどう反応したとか、米国政府が強い不満を示しているとか言うだけで、主体的な議論がなされていない。

さらに忘れてはならない公約が天下り禁止である。日本郵政の社長、副社長に元官僚の大物が就任することになったが、これに関して明確な説明はなく亀井大臣がゴリ押しして決まっている。日本を良くするためにしなくてはならないと民主党が主張してきたことで優先順位は最も高いはずである。あるべき姿と現実がこれほど見事に違っていることが政権奪取後すぐに起こったのにもかかわらず、鳩山首相小沢幹事長始め誰も説明しようとしない。弱小政党の亀井氏は自らの存在意義を示すためにやったのだろうが、この点は民主党の存在意義にも関わっている。これには反対し、阻止すべきだったろう。
事業仕分けをオープンでやることにより国民の支持を高めたと言うが、有権者への最も大事な約束については自民党と変わらない不透明さで反故にしようとしている。声高に自民党を非難していた分、国民の信頼を失うだろう。

鳩山、小沢両氏の資金疑惑についても全く納得いく説明がない。両氏ともよく'法に則って適切に処理をする'旨を言うが、上述した企業の内部統制や、コンプライアンスの基本姿勢は'単に法を遵守するだけではなく、法の意味する精神を含めて守る’ということである。法律に違反していないことだけを根拠に問題はないと主張する人間に声高に'君は憲法を理解しているのか'などといわれる国民は不幸以外の何物でもないだろう。政治の最大のステークホルダーは国民である。民主党幹部はそれに対する説明責任を果たしていない上、納得できる透明な意思決定のプロセスさえ提示していない。

閉塞感に満ちた時代に新しく権力を握った政党がこうした体たらくでは、国民は明るい気持ちにはならない。傲慢な態度で声を荒げる権力者を見ていると、この国を何か非常に悪い方向へ持っていこうとする恐怖を感じる。自民党が相変わらずひどいままなのが致命的な絶望感を抱かせる。