政治家秘書の不祥事問題

鳩山首相が政治資金報告書の虚偽記載をめぐって秘書が独断でやったことで自分は知らなかったとの主張を続けている。また小沢一郎氏は西松建設からの献金疑惑に続いて、4億円もの資金の源泉が不明だとして秘書が検察から事情聴取を受けている。

政治家の秘書は政治家本人に代わって様々な陳情を受け、対応を取るのが仕事の大半であるが、その過程で予想出来ないことも起こりえるから、秘書の行動を政治家がすべて知っているかと言えば必ずしもそうではないだろう。(今回の件でその言い訳が通るとは思えないが)

企業でも社長が社員の行動をすべて把握していることなど不可能で、大企業になるほど多くの人に権限の移譲がなされるから、そうした傾向が強まる。しかし、だからと言って社員が起こした不祥事について社長は責任がないとは言えないのが現在の状況である。そこで企業の不祥事を類型化し分析して、その観点から上述した政治家秘書の不祥事をどう解釈すべきかを考えてみたい。


企業不祥事と言うと一般的に会社が不当な利益を得るために法律に違反するか、法律の不備を突くことを指して言う。それはトップマネジメントが関与することもあるし、役員や部長クラスの判断で行うこともある。具体的には不当な会計処理をして税金逃れをしたり、決算を実態より良く見せて債権者や投資家を欺くことなどが良くある例だ。その他にも禁止された原料を使って製品を製造したり、期限の過ぎた材料で食品を作ったり、賞味期限を偽って食品を販売したり等々様々なものがある。こうした行為が発覚するとその違法性や社会への影響の程度で強弱様々な批判を受け、中には企業存続が危うくなることもある。雪印船場吉兆はその例である。

もう一つの不祥事の形は従業員が自らの利益のために会社に損害を与える行為である。横領とか背任、機密データの流出等がよくみられるものだ。最初のケースも会社のためと言いつつ同時に自らの保身という形で利益を得ようとしているのであるから、この点では一番目と二つ目の境界は曖昧である。しかし二番目のものは会社から金品を詐取しようと言う点では明らかに異なる。この意味では会社は被害者である。しかしこれはやはり企業不祥事として会社が批判される出来事でなのである。

これが不祥事として会社が責任を追及されるのは、会社が従業員がそうした行為をすることを防ぐ仕組みを構築していないからによる。これはマネジメント上の欠陥とみなされる。適切な管理体制を作っていないことで株主に損害をもたらしたと言うのである。
銀行や健康保険組合で億単位の横領がなされることがある。担当者が業務上の欠陥を利用して金をとることはありうるし、完全に防ぐことは難しい点もあるが、それが繰り返されること、何千万、何億になるまで発見されないとなると、これはもうマネジメントの問題であり、経営者の能力が問われるべきだろう。


こうした点から考えると、今回の鳩山首相の政治資金の虚偽申告を秘書のせいにして自らの責任を逃れようとする行為は許されるものではない。仮に本人が本当に知らなかったとしても、秘書がそうした行為を続けることを発見できなかったことは重大である。多額の金を扱う以上その流れを定期的に第3者がチェックする仕組みを作っておくことは絶対的に必要である。自らの小さな組織を正当に管理できない人間が、国家を正当に管理できるはずがないと考えるのが普通だろう。もし秘書のそうした行為を知っていて、秘書のせいにしようとするなら倫理面から政治家として不適切と言われるだろう。

小沢氏の場合は西松建設についても、4億円の出所についても、事実関係がまだはっきりしないので判断が難しいが、秘書が事情を聞かれる前に自ら国民に語るべきだった。小沢氏については田中角栄のように不透明な金にかかわる記事が多いのは何故だろうか? 国民から見ると自民党から民主党に代わっても、政治の本質的なところは同じように見えてしまう。権力者のこうした態度が国民の社会に対する信頼感を失わせるのだと思う。