映画’沈まぬ太陽’への疑問(1)

映画'沈まぬ太陽'を見た。見終わって何か違和感を覚えた。上手く言えないが話が腑に落ちないという感じである。ヒット作で評判も高いということを聞いていたのでやや期待外れだった。
私は映画の原作であるベストセラーとなった山崎豊子の小説を読んでいない。従って私が感じた疑問は映画と小説との差異という点ではない。私がしっくりこなかったのは以下のような点である。

最大の違和感は主人公である恩地元の行動のベースになるものがよく分からないという点である。恩地氏にはモデルがいて小倉寛太郎という人だそうである。国民航空(これが日本航空を指している)の社員である恩地は、組合委員長として過激なストライキを計画(会社が折れてこのストライキは実施されず組合の勝利となった)したことなどが原因で海外(カラチ、テヘラン、ナイロビ)に左遷される。47年も前のことだからこれらの場所はは地の果てのように描かれている。実際そんな感じだったのだろう。僻地(映画の印象に合わせてあえてこう書きます)での勤務は2年というのが普通のところ恩地は計10年もとばされていた。(これは実際小倉氏が体験したことと一致している)

わたしもサラリーマンを長くやったので、こうした人事があることは想像できるが、いかにも幼稚で漫画チックな描き方だ。恩地はその僻地での勤務の間、日本への転勤の提示を受けるが、その条件である組合活動への詫び状を書くことを拒否したため、僻地での勤務が10年にもなるのである。腑に落ちないのは恩地が日本に帰りたい妻子や日本に残した母の希望を無視してまで、詫び状の提出を拒む理由がはっきりしないからである。共に組合活動を行った仲間への裏切りになるという言葉が出てくるが、これだけがその理由としてはいかにも弱い。もし会社をより良くすることが彼の目標なら、本社に帰り中枢の部署にいてこそ実現できることが数多くある。これまでに帰国を拒むのは、何か他に自分に都合の悪い理由があるのか、または現地にいたい事情があるのではと思ってしまう。
その一方でナイロビに在任中趣味となった狩猟で、象の眉間を見事に打ち抜き殺すシーンが出てくるが、家族を犠牲にして帰国を断り象を殺すのがそんなに楽しいのかと白けた気分にさせられる。


サラリーマンに限らず生きてゆく上で、求められることと自分の信条(この言葉が少し大げさに響くのなら、やり方とかしたい事と言っても良い)が一致しないことは決して珍しいことではない。そうしたギャップを自分なりに解決しようとしてやっていくのがまともな大人であろう。自分の思う通りでなければ嫌だというのは我儘としか思えない。そんな我儘を通した人だから小説にする価値があるのだというのかもしれない。しかし物事を良くする、事態を改善するというのはマジックのように一瞬でできるのではなく、地道な努力の積み重ねだ。そこでは自分の信条と相いれない場合もあるだろう。それを悩みながらやりくりするところに本当の苦労があり知恵が生じる。その点からみると主人公の行動をこの映画のように賛美する気には到底なれない。


2番目の疑問は政府から国民航空の立て直しに送り込まれた国見会長(これはカネボウから来た伊藤淳二氏のことである)の描き方だ。ここに至るとこの映画そしてその原作の小説の拠って立つところが分からなくなる。これは現実に基づいたストーリーなのか現実にヒントを得たフィクションなのかという点への疑問である。何故なら映画の冒頭のシーンが御巣鷹山のジャンボ機の墜落事故であり、全編を通してこのことが描かれる。この事故はこの何十年かの間での最大の悲劇の一つといっても良い。この物語は現実に起こったその悲劇をベースとして成り立っている。

映画では国民航空の社員が被害者遺族に対し誠意のない対応をする中で、主人公の恩地だけが真面目な対応をして感謝されるシ-ンが幾度となく出てくる。恩地のような人がもっといれば国民航空はずっと良い会社になったのにという国見会長のセリフもある。しかし映画を観終わってから調べたところによると、このモデルである小倉氏は事故の遺族の担当係をしたことはないそうである。御巣鷹山の被害者は実名で登場するが、国民航空にただ一人だけいる善人ように描かれる恩地は被害者遺族の担当をしたことがないのはフィクションだからなのだろうか。次回では国見会長の描き方への疑問と共にこうした小説を書くときの書き手のモラルとは何かを考えてみたい。