イチロー vs マツイ(3)

イチローについて書いてきたので最後に松井に触れよう。高校時代から甲子園のスターだった松井は、巨人監督に復帰した長嶋茂雄がくじを引いて交渉権を獲得した結果、1993年に読売ジャイアンツに入団する。1年目の途中から1軍に定着し、その後も周囲の期待にこたえるように活躍し、本塁打王打点王を3回ずつ、首位打者を1回獲得している。

イチローの成績と比べると物足りないように見えるかもしれないが、タイトルを取れなかった時でも1-2本差でホームラン王を逃したりと非常に高い水準の成績を維持し、ジャイアンツの10年間で332本塁打、889打点、1390安打、304の打率を残している。日本で最も人気のある球団で様々なプレッシャーと注目を受けながらの成績としては素晴らしいものである。

松井はその記録だけではなくファンやマスコミへの接し方なども大変紳士的かつ友好的であり、コメントそのものは優等生的で面白みには欠けるものの、一流のスポーツ選手にふさわしい行動をとるだけでなく、社会人として成熟した振る舞いを自然な感じでみせている。これがたんに世間向きの作られた善人ぶりではないのは、彼がアダルトビデオのファンを公言し、スポーツ紙からお薦めAVをプレゼントされたりしていることを隠そうともしていないことからもわかる。また世間はそんな松井にも好感を抱いた。
野球エリートの道を歩んできた松井は、その境遇、才能に驕ることなく一人の好青年としてファンを魅了してきたのである。


FA権を獲得した2002年のシーズン後にMLB最高の人気球団であるNYヤンキースと契約し、2003年にMLBデビューをはたす。松井は甲子園、東京ドームのスターから最高の舞台であるベーブルース、ゲーリックが活躍したヤンキースタジアムへ活躍の場を移したのだ。こうした選択は松井にとっては全く自然な流れに沿っているようで、日本人の多くのファンも松井は彼に相応しいキャリアを歩んでいると考え、ヤンキース入団をを当然のように受け止めた。もちろん多くの野球評論家やファンは、松井があのNYヤンキースで、辛辣なマスコミと結果に厳しいファンが見つめる中で、どこまでやれるだろうかと不安を持っていた。

松井はNYヤンキースでの1年目を東京ジャイアンツにいた時と同じように自然体で過ごし(本人には物凄いプレッシャーがあったのかもしれないが見る方にはそれを感じさせなかった)、日本から大量に送り込まれたマスコミにも丁寧に接し続けた。結果として1年目は打率287、17本塁打、106打点をあげ勝負強さを印象付けた。何よりもヤンキースタジアムでのデビュー戦で、第1号本塁打を満塁の場面で打ったシーンは目に焼き付いている。このシーズン終了後、全米野球記者協会NY支部が取材に最も協力的だった選手として、松井に‘グッドガイ賞’を贈っている。


その後も松井は勝負強いバッティングを続けヤンキースの主軸打者としてファンの支持を獲得してゆくが、そのバッティングはホームランバッターからチームバッティングを重視したアベレージヒッターへと変っている。松井本人はホームランへのこだわりは当然あったろうが、ヤンキースでレギュラーをとるために必要な対応をした。好選手をそろえたヤンキースでは、日本で受けていたような特別待遇は球団からもファンからも期待できないとすれば、最もチームに貢献できる方法でやるしかなかったのだろう。なにしろあのワンマンオーナーの下では、不振が続けば首も危ないと感じるのは当然だ。

2006年の不幸な怪我、レフト前のフライを取ろうとしてスライディングキャッチを試みて左手首を骨折したのも、松井が激しい競争の中でポジションを維持しようとしたことと無縁ではないように思える。東京ジャイアンツにいたなら、あんな無理な捕球にトライしただろうか。こう考えると松井は最も華やかなキャリアを順調に歩んでいるように見えるが、その華やかさに見合った、またはそれ以上のプレッシャーと戦い続けているのではないか。記録を重ねることでスターになっていったイチローが、より注目度が高い最高の舞台へ移行できるチャンスを色々な理由を付けて選ばなかったことと比較すると、やはり松井の方が野球人として人間として器の大きさを感じさせる。松井が毎シーズン終了後、担当記者達の慰労のために自らピッチャーをして草野球をするのを見ると、松井は人に愛されるものを持っている生来のスターだと感じる。


しかし最近はイチローの記録ラッシュが続くほど松井への批判に厳しさが増しているようだ。もっともこの8月、9月に調子が上向きになり、ホームランも今日時点で26本まで伸ばした現在は、NYの野球記者の中に来年も契約すべきだという意見も出てきているようで松井には良い流れが出てきてはいるが。
従来から松井に対して殊のほか厳しい批判をしている代表的な存在に張本勲氏がいる。張本氏はイチローが破るまでの日本プロ野球最多安打と持っていた強打者である。張本氏はバッティング技術の観点から松井を自分のような超一流とはレベルが一段低い打者だという発言をしているが、仮に彼の打撃論が正鵠を射たものだとしても、張本氏の現役時代のプレー振りを知る者としては彼が松井に優っているとは思えない。

張本氏が活躍したころのパリーグは現在と違って全く注目度が低くテレビ放送もたまにNHKが行うくらいだった。張本氏は東映フライヤーズに1959年に入団し数々の記録、通算最多安打、最高打率を残し史上最強の打者とさえいわれた人である。イチローのように安打製造機とも言われたが、イチローよりはるかに長打力がある強打者だった。しかしその守備と送球はお粗末で、攻守走を考えるとMLBでは通用しなかったであろう。もっとも指名打者の制度ができた後ならそれなりの活躍の場はあったかもしれない。私が張本氏が松井を批判するのは妥当ではないと考えるのはこの点である。張本氏が松井が怪我をした時のようなスライディングキャッチを試みるとは思えない。
さらに上述したように松井が常に注目される中でプレーをし結果を出し続けている点も、東映フライヤーズでプレーをしていた張本氏とは異なる。張本氏は1976年に東京ジャイアンツに移籍し、長嶋引退後の巨人を王と二人で支えた。36歳になり絶頂期は過ぎていたが、その打撃の上手さ鋭さは記憶に残っている。
張本氏の守備が劣っていたのには、彼が子供のころの事故で指に重大な障害があったからだといわれていることは付け加えておかなくてはならないだろう。


記録にこだわり、記録を塗り替えることで存在を認めさせ、自らのポジションを高めていくやり方はイチローと張本氏に共通するものを感じる。しかし張本氏の時代には選択の幅が少なく、そのキャリアのほとんどを今よりはるかに人気のないパリーグで過ごさざるを得なかったのに比べ、MLBで活躍するチャンスを得たのに、より人気度が高いチームへの移籍をせずに小都市の球団でスターの座にいることを選んだイチローの生き方は、彼が新たな記録を達成すればするほど心から祝福できない要因となってくる。
さらにイチローが内野安打の量産というニッチな分野で優位性を高めて記録を作っていることが、そうした気持を一層強くさせるのだ。1-2年前からイチローは自分勝手だとチーム内で強い批判が起こっているという噂も決してあり得ないことではないという気がする。こうした点も松井とは好対照である。

イチローと松井、どうしても比較されざるを得ない同時代の日本人メジャーリーガーだが、その評価は残した記録だけですべきではないだろう。その記録を残したそれぞれの生き方、生き方に伴う苦労やプレッシャー、ファンやマスコミとの接し方、そうしたものを含めて考えるべきだと思う。確かに一番の記録は記録として歴史に残る。しかしそのことだけにこだわって評価するのは、まるで偏差値で大学を評価したり、人気度ランキングで会社を評価することと同じだ。もっと多面的に物事を見て判断すべきだと思う。

それでもイチローと松井はわたし達の誇りだ。インターネットの速報で彼らの活躍を見るたびに元気をもらえる。今日も楽しみにして彼らの試合の結果を見よう。