イチロー vs マツイ(2)

イチローMLBで史上初の9年連続200本安打を達成した。'凄いな、やったね’が素直な感想だが、大記録達成への畏敬の念と共にマスコミの大騒ぎにはいつものように辟易する。

褒めていれば多くの読者の共感を得られると感じた場合には必要以上かつ無批判に褒め、叩いても大丈夫だと思うと過酷なまでに叩く。これが現在のマスコミの姿勢である。もう少し冷静に、客観的に事実を見つめ褒めるところは褒め、批判すべきところは批判する姿勢を持つべきではないか。どうもマスコミを論じると力が入ってしまうが、話を本題に戻そう。

前回はイチローのヒット記録の内容について書いたが、今回は彼の記録の背景となるキャリアについて、彼が自ら選択してきた点を含めて論じてみたい。

イチローオリックスブルーウェーブにドラフト4位で入団した1992年に、二軍のウェスタンリーグで366の高打率で首位打者を獲得したが、当時のオリックス監督の土井正三に認められず、一軍に定着が出来なかった。1994年に監督になった仰木はその才能に注目し、登録名をイチローに変えると共にレギュラーに抜擢した。イチローは210安打の日本記録を達成し、385の打率で首位打者、MVPを獲得し期待に応えた。

何故土井前監督ががこれほどの才能の選手を、二軍で抜群の成績を出しているのにもかかわらず、一軍で使わなかったのかは分からないが、選手の才能をあるがままに見る目がない無能なマネージャーだったとしか考えられず、加えて何か個人的な好き嫌いがあったのかもしれない。才能豊かなイチローの方で二軍コーチの力を見限り、そんな態度が一軍監督へネガティブに伝えられて、実力を正当に評価されなかったというシナリオなどは十分に考えられる。

これはビジネスの世界でもよくあることだからだ。才能のある若者は一般的に扱いにくいので、凡庸な上司はその能力より態度を見て部下を評価しようとする。 また部下の才能が極めて高い場合、ほとんどの上司は部下の発言、発想そのものが理解出来ず、異物として排除しようとさえするものだ。だから若い人で干されていると感じていても落胆することはない。上司が無能であるか、あなたが優秀すぎるのかもしれないからだ。もちろんあなた自身に問題がある可能性も忘れてはならない。
いずれにしろこうした経緯はその後のイチローの物の見方、考え方に影響を与えたと思われ、彼の記録へのこだわりもこの辺りに出発点があるような気がする。


日本で多くの記録をつくりスーパースターとなったイチローは、2001年ポスティングシステムでシアトルマリナーズに移る。すでに述べたMLBでの様々な活躍の後、イチローには他球団に移るチャンスがあった。マリナーズの契約更新の2006年ころに、ヤンキースカブスの人気球団が獲得を希望している噂もあり、イチローが決断すれば実現した状況だったが彼は結局マリナーズに残った。イチローの言葉を借りれば、マリナーズイチローに残って欲しいという強い誠意を示されて契約を更新したということだ。加えてマリナーズには有力選手が長く在籍するという伝統があると言われる。したがってイチローも高額年俸を提示され、球団の伝統に従った結果残留を決めたことになっている。
しかし1700-1800万ドル(16-17億円)の年棒となると多少の多寡は問題ではないような気がする上、マリナーズで長く活躍したランディ・ジョンソンケン・グリフィーJR、アレックス・ロドリゲスなどは他球団へ移籍している。こう考えるとイチローマリナーズでプレーを続ける選択をした理由には他のものがあるように感じる。
(もっとも年棒の多少の多寡は問題ではないというのはイチローのようなセレブではない私の感覚なので、実際それをもらう人がどう感じるかは私には全く分からない)


わたしはそれは彼にとっての働きやすさなのではないのかと思う。私の言う働きやすさとは、彼がマイペースでプレーが出来、記録を狙いやすい環境を意味する。マリナーズ球団のオーナーは任天堂であり、イチローは一番のスターだから、自分のやり方を変えることなく記録を狙っていける。大都市の人気球団のようなプレッシャーも少ないし、不振が続いても首が切られる心配もない。記録にこだわる彼にとっては最高の環境を選んだのだと思う。わたしはイチローヤンキースに行って、ジーターと1、2番のコンビとして活躍したら、そしてイチローが作ったチャンスでA.ロドリゲスや松井が長打を打ったらどんなに痛快だろうと思ったのだが。口うるさいNYのマスコミやファンを感心させ、ワンマンオーナーの鼻を明かしてほしいものだと心底願った。

しかしそれは彼の望むところではないようだ。ジョー・ディマジオルー・ゲーリックベーブ・ルース他の大選手を輩出したMLB最高の名門でプレーするよりも、アメリカの西の小都市でのスーパースターとして誰にも追いつけない記録を達成し続けることにアイデンティティーを感じ、その記録達成によりMLBの大選手と肩を並べるという道を選んでいる。

また日頃プレッシャーの少ない試合で結果を出すことへの埋め合わせのように、ワールドベースボールクラッシック(WBC)で日本のために全力でプレーする姿を見せ、日本の多くの野球ファンの支持を得て、マスコミの称賛を勝ち得ている。(日本のマスコミはそもそもWBCにどんな意味があるのか、MLBで活躍する選手のほとんどが参加しない大会、しかもシーズン前の微妙な時期に行われる大会の裏に何が存在するのかには触れない。MLBのスターのいないWBCで勝って日本の野球は世界一だと子供のように大騒ぎをして恥ずかしいと思わないのだろうか?)
このようにイチローの戦略は成功し、日本のマスコミは彼の記録と活躍に手放しでの称賛を与え、人気の面でも今や日本でもヤンキース入団時でも及ばなかった松井をも凌いでいる。


私はイチローのプレーを見るために8月末にシアトルに行ったが、怪我のため彼は試合に出なかった。とても残念だったがセーフィコフィールドでのロイヤルズとの試合は面白かったし、球場の雰囲気も楽しめた。何より強く感じたのはマリナーズにおけるイチローの存在の大きさであり、シアトルの人々のマリナーズへの愛着だった。ファンの着るTシャツのほとんどが51番だし、日本人の観客の多さもあるのだろうが球場内のショップのグッズの多くがイチローがらみである。

シアトルの街そのものもこじんまりして、サンフランシスコを小さくした感じののんびりとした美しい港町である。日本でいえば神戸に似ているかもしれない。もっと小さく、スターバックスの店舗がやたらと多い点を除くが。


こう考えると今やMLBでもスターとなったイチローは神戸のオリックスにいた時と似た道を歩んでいる。東京ジャイアンツのように毎試合全国放送をされることもなく、いつも満員の観客の前でプレーするわけでもないが、目立たないオリックスブレーブスで着々と結果を残して大記録をつくり、MLBへの道を築いた。これが彼のやり方なのだろう。マイナーなところから職人技を究極にまで磨いてのし上がってゆく、そんな生き方に共感を覚える人も多いだろう。しかしそれは彼が社長にしたい人だったり、理想のボスとは、関係がないことだし、むしろ反対の生き方だ。イチローが目指しているのは、そして実行しているのは最高レベルの職人的なプロフェッショナルであり続けることだからだ。

次回はイチローとは対照的なキャリアを歩んできた松井について触れたい。イチローの記録ラッシュの前でかすんでいる感じがする松井だが、生来のスターが持つ魅力と苦労に触れ彼の実力を再認識すべきだと考えている。