イチロー VS マツイ(1)

イチローMLB2000本安打を達成した。この大記録に対して日本のマスコミなどは大騒ぎで称賛一色となり、イチローに対して素朴な疑問や批判もできない雰囲気である。日本の社会が持つある種の怖さと、それ以上にこうした報道姿勢をとり続けるマスコミに対する不安がよぎる。いつかまたこの調子で大本営発表を流し続ける様な気がする。もっとも今日の話題はマスコミではなくイチローであり、比較の対象となる松井である。


前回も書いたように一般的にはイチローと松井の勝負はついているといえる。記録がそれを物語っている。しかし私は記録の差ほどイチローと松井の差は大きくないと(ほとんど無いとすら)感じているので、そう感じる理由を書いてみたい。なにせイチローは色々な調査でも社長にしたい有名人でたけしと並んでトップになったり、理想の上司で一位になったりしているので、逆風を承知でちょっと待てと言ってみたいのだ。記録達成をすべての中心にしたイチローの生き方を分析してみて、それとは対照的な松井の生き方に見られる苦しみとプライドをもっと評価してよいのではと主張したい。


言うまでもないことだが、イチローに対する賛辞は彼が達成し続けている記録の凄さに依存している。加えてWBCでの態度やコメントが好感度を上げ、様々な機会でのファンへのメッセージが今でいうクールなイメージを作っている。それに反して松井は怪我で苦しみ、指名代打でしか出場できないし、8月以降こそ良い成績を上げているものの全般的にはぱっとせず、来年はヤンキースを放出され、あの阪神タイガーズへの移籍すら噂される始末である。だいたいイチローと松井を比較する意味があるのかという疑問も出そうだが、私には過去から現在にいたるイチローのマスコミやファンへの態度や発言の変化は明らかに松井を意識した結果起こったと感じられるのだ。


イチローオリックス時代に7年連続首位打者のタイトルを取り、シアトルマリナーズに移ってからも去年までの8年間の平均打率が331で2度の首位打者になっている。加えて守備も走塁も超一流のレベルを維持していることを考えると、日本人という範疇を超えて大リーグ史上でも類まれな選手と言えるだろう。私はこうした実績、評価を十分に認めた上で、イチローを無条件で称賛する(前述のような理想の社長や上司という評価も含めて)風潮にはいささかの抵抗を感じている。そう感じる理由の一つに2人の野球選手のコメントがある。

イチローが日本で最多安打の記録を達成したころだと思うが、広島カープ前田智徳が内野安打が多いことをあげてその数字をそのまま評価するのはどうかといった記事を読んだ記憶がある。アメリカでも日米通算で2000本のヒットを達成したころに、MLB通算4192本のヒット記録を持つピートローズがイチローがヒット数にこだわりすぎていること、そんな野球態度を可能にしているのは弱小チームにいるからだと指摘し、優勝を狙えるチームでプレッシャーの中で結果を残すことが意味あるとコメントしている。

前田智徳のコメントを今回探してみたが見つからなかったので確定的なことは言えないが、これに近いことを言っていたのは間違いない。前田は長嶋茂雄落合博満が天才とまで言った才能を持つ選手である。1995年にアキレス腱を切ってからは怪我との戦いが続き、以前のような攻守走全般での目を見張る活躍はしてはいないが、打撃では相変わらず非凡なものを見せている。

私のような素人にはプロ選手の才能のレベルなど想像もつかない分野だが、ウィキペディアによると落合監督はまだ若かった福留、森野を指導する際、'真似してよいのは前田だけだ。前田を見習え’と言ったそうである。多くの野球選手が前田を目標にし、イチローも'一番会いたいのは前田さん’と語り1994年のオールスターゲームで初めて会って嬉しそうにしていたという。松井は1995年に'前田さんの背中に男を感じます。怪我が治ったらまた同じグランドでプレーしたいですね・・・日本で一番いいバッターかもしれません’と言っている。

この前田とピートローズがイチローのバッティングスタイルに疑問を呈したことは彼のヒット数や打率をそのまま評価して良いのかと思わせる。もちろんこれらの人たちの議論のレベルは野球界でも最高のところでの善し悪しだということは想像できるのだが、やはり無視できないコメントだと思う。

2008年末までの実績ではMLBでのイチローのヒット数の22%が内野安打だそうだ。毎年平均220本のヒットを打っているので48.4本の内野安打があるということになる。もしこの数をそのまま引くと彼の平均打率は331から259になってしまう。彼ほどの才能の持ち主なら内野安打狙いをやめて外野へのヒットを狙ったとしても、この内野安打数のうちかなりはヒットにするだろう。しかし全部ヒットに出来るとは決して思えない。仮に内野安打の半分を外野へのヒットに出来るとすると打率は295になり、7割と想定すると310となる。そう考えるとイチローのヒット数と打率に対する内野安打の貢献度は興味深いデータだ。

イチローのバッティングを見ていると決して内野安打狙いをしているわけではない。内野安打になるのは、外野へのヒットが打てないコースの球を何とかバットに当てて一塁に走りこむとか、外角球を三遊間に狙ってゴロを打ったりする場合が大半である。言い換えれば最後まで諦めず、巧みなバットコントロールと並はずれた走力で内野安打を稼いでいるのである。走りながら打つという技術はイチロー独自のものだ。それを芸術的な技ととらえるか、記録狙いで面白みに欠けると考えるかは意見が分かれるところだろう。わたしは称賛一色の中でそうしたスタイルを極めてまでヒットを狙おうという姿勢に少なからぬ疑問を持つものである。打ちにくい球はファールして逃れて美しいヒットを打つことを目指してほしいと思うからだ。


イチローのこのような記録へのこだわりと大リーグ史上例のないようなバッティング術の確立は、彼が歩んできた道のりと無縁ではないように思う。愛知工業大学名電高校からドラフト4位でオリックスに入団した彼の野球人生は最初から華やかだったわけではない。
松井が甲子園で5打席連続敬遠をされ日本中の注目を浴び、巨人にドラフト1位で入団したのとは対照的である。次回はこうしたキャリアの違いがそれぞれの野球へのスタンスや節目節目での意思決定にどう影響しているかを述べてみたい。