’会社は誰のものか’論は今何処に

一時'会社は誰のものか’という議論、いわゆるコーポレートガバナンス論が流行った。 日本やヨーロッパではステークホルダー論が主流で、アメリカでは当然会社は株主のものだということだった。さらに日本では伊丹敬之氏を代表とする経営学者が'従業員主権論’を展開して多くの賛同者を得ていた。 
それでも3年くらい前までは日本でも圧倒的に株主主権論者が優勢で、それ以外の議論は時代遅れと言わんばかりの勢いだった。 理由は単純でアメリカ経済が世界で最も成功していたからであり、さらに日本企業の経営スタイルを変えることで一層の利益を日本から得ようとしたアメリカの勢力が日本の権力層に経営の自由度をを高める規制緩和を求め、小泉内閣構造改革の名のもとにそれを受け入れたからである。

しかしサブプライム・ローン問題でアメリカ経済が破綻し、世界中の経済が大混乱した今'会社は誰のものか’の議論はさっぱりなされなくなった。一方で、日本の多くの企業のコーポレートガバナンスが今のままで良いのかという疑問は解決されたようにはとても思えない。

アメリカ経済の破綻を目にしてその企業経営の在り方を手放しで礼賛していた学者やエコノミストが元気がないのはやむを得ないだろう。彼らが見習えと言っていたモデルがあっという間に崩れてしまったのだから。今、多くの学者やエコノミストの関心は、彼らの過去の主張からいかにして一般の人達の関心をそらし、気がつかれないうちに自らの主張を変更し、それが経済の現状と齟齬がないように見せることのように思える。

実際アメリカ経済の破綻の過程で私たちが目にしたものは、株主至上主義のもとでの会社経営陣の無責任さと倫理観の欠如だった。政府の資金を導入することで倒産を免れた金融機関の幹部が高額のボーナスを平然と受け取ろうとする姿が報道された。サブプライムローンの構図は、住宅価格の継続的な上昇を前提に経済的弱者にまで住宅を売りつけ、そういう人達へのローンのリスクを他の比較的優良なローンと組み合わせることで低減するという理屈で、様々な証券を販売したものである。
住宅の購入も、証券の購入も自己責任という言葉で片付けられ、知識や情報に乏しい人達は財産、職を失っているのに、政府の金(納税者の金)で生き延びた金融機関の幹部は常識を超えたボーナスを受け取るのが現実だ。


ゼネラルモータース(GM)の破綻もアメリカの製造業の凋落を示す出来事だったが、現在の苦境に至るまでマーケットの要求に真剣に取り組まず売れる車作りを怠っていた経営者たちが多額の年収を得ていた。彼等は間違いなくGMの財務状況が危機的にまで悪化しているのを知っていたにもかかわらず、破格の待遇を享受し自らは経営責任を取ろうとさえしなかったのである。

今また株価が何故か9,000ドルを超える状況になると、アメリカの金融機関の一部は公的資金を返済し、利益に応じたボーナスを復活させようとしている。下げ止まりの兆しがあるとはいえ、失業は依然高水準だし、ほとんどの労働者の収入は回復をしてない。ウォール街の金融業の連中にはそんな一般人の苦境など眼中になく、一部の巨大な資産保有者の利益の確保しか関心がないのである。そのために彼等は次の獲物、哀れな羊を探しているのだろう。 今回の株価上昇にしてもどんな根拠があるか不明だし、マーケット関係者の仕掛けのようにしか感じられない。

これらの事実は明らかにアメリカ的な経済システム、企業経営の方法に限界があることを示している。だからといってアメリカ的な経営がすべて駄目だと言っているのではない。良い点があるからと言ってそのやり方すべてを取り入れようとするのは現実的ではないと言っているのだ。考えてみれば、当たり前のことだがこんなことすら1990年代から2006年位までアメリカ型経営導入の旗を振っていた学者、エコノミストには理解出来なかったのである。余談だが、中谷巌氏が当時の過ちを認める本を出したが、私などはそんなに簡単に謝っていいのかと心配してしまう。いつまたアメリカ経営が優れている、又は日本のシステムが劣っているという議論が起き、一部の無責任なエコノミストが声高にそれを主張する時が来ないとも限らないと思うからである。


日本が1990年代にバブルの後遺症から立ち直れないのは3つの過剰によると言われた。すなわち、設備、雇用、債務の過剰であり、これらを速やかに解消しないから日本経済は低迷し続けたというわけだ。日本の経済システムは硬直的で状況変化に対応できず、規制緩和を進めることでしか解決は出来ないという論理である。規制緩和をすれば企業はより経営の自由を持ち、経営状況に応じて設備、従業員を削減することで利益を早期に改善できる。そしてその利益は株主に帰属するのだから、株主の利益を最優先する経営こそが重要で、日本経済の復活につながるという考えが主流だった。

確かに1990年代の日本は多くの問題を抱えていた。特に不良債権については当時の大蔵省がある銀行で何かの問題が発生し、不良債権について語るたびに金額は上方に修正され、実際いくらあるのかは当時権力をもっていた一部の層にしか分からないという状態が続いた。この隠蔽体質、不透明性はいくら批判されてもやむを得ないだろう。日本の金融システムを守るためにという理屈での損失額の隠蔽は、それを解決するアクションが迅速に取られないという事実と合わさって、結果的には日本の国際的信用を損なうことになった。 経営の不透明性、隠蔽体質、アクションの遅さなどは日本の企業が海外からの信用を得るためには改善しなくてはならない点である。

しかしそうした日本企業の欠点がアメリカ的な株主主権主義を導入すれば解決するというのは乱暴な議論だろう。そもそも日本で会社は誰のものかという議論が真剣になされたのは、業績の割に株価が低く評価されている企業や、利益剰余金を多く保有している企業に対し、株式の取得を行い経営権を手に入れようとする動きが続いたからである。彼等の主張は株を長期に保有し、当該企業の経営の効率化を実現することが目的で、それが会社にも株主にもメリットがあるということだった。しかし客観的に見ると経営権を所有することで利益剰余金を配当に回したり、株価を吊り上げてキャピタルゲインを得ることが目的なのは明白だった。急に大株主になり経営権を持ったからと言って、過去に積み上げた利益を株主のものだからよこせというのは少なくとも日本では通らない話である。

わたしは34年間エッソ石油、エクソンモービルに勤務したが、その100%の株主はエクソンであり、エクソンモービルであった。日本の事業が儲からない時も、規模に比例して大きな利益をあげている時も株主は変わらず1社だけだった。これは非常に分かりやすいケースで、この株主が会社が上げた利益は株主のものだと主張するのは当然である。株主はリスクを一人で背負って日本で事業を続けたからである。実際日本での利益は100%配当に回され、エクソンの本社は世界の関連会社から得た配当を収益性の高い事業を中心に再配分したのである。日本で儲けたものを全部アメリカに持っていくのはけしからんと言った議論がマスコミや顧客代理店から起こったことがあったが、日本で儲けが少ない時もそれ以上の投資予算が配分されることもあったのである。

しかし日本の市場で起こっていたのは、明らかにそうではない株主取得による会社支配が大半であった。株主主権論を主張していた学者の論理も、株主とはエクソンが子会社に対するように長期に株を保有し、その企業の育成を願うものだという前提に立っている。著名な経済学者である岩田規久男氏の'そもそも株式会社とは’なる本も、伊丹氏の'従業員主権や''ステークホルダー論’を論破しようとしているが、その議論の前提が長期保有の株主を想定しているという点で説得力に欠けるものとなっている。第一線のビジネスマンは皆そんなことは当たり前だと知っているのである。そうでない株主が現れた場合、その存在をどう考えれば良いのかが議論の本筋でなくてはならない。
村上ファンドの買い占めにあった中小の優良企業の社長がTVのインタビューで村上氏のやりくちの印象を聞かれて'最も近いのは暴力団による買い占めだと思う’と話していたのは印象的であった。

要するに日本企業がグローバルな市場で認められ成功するために経営を改善することは必要だが、それはどこかの成功している国の経営方法をそのまま受け入れることではない。マクロ経済で成功している国の経済モデルを手本とすることが過去行われてきたが、これが必ずしも正しくないことは明白だ。1980年代は日本の経営がもてはやされ、1990年代になるとアメリカがモデルとされた。特にアメリカの場合はその政治的影響力も加えて、自らのシステムを相手に受け入れさせることで一層の経済的利益を得ようとした点で問題は根深い。日本の郵政民営化もこの流れで見るのが自然だと思える。

UCLAの教授サンフォード M ジャコビーは、従来からこうした視点で問題を分析していた。 彼は2006年に Le Monde diplomatique に書いた’Japan's alternative economics' という論文の中で’日本経済は4年前(2002年)から回復を始めている’と書いている。それは別にアメリカ式の経営を取り入れたからでなく、中国への輸出とそれ以上にアジア諸国への長い間の投資が実を結んだからだと言っている。アメリカ型の経営方式をいち早く取り入れた企業(ソニーのことだろう)より日本的経営の良さを保持しつつ、新しい技術の開発に力を注いだ企業のほうが顕著な業績をあげている点も強調している。彼はこのことがあまり論じられないのは'日本の成功を嬉しく思わない気持'(schadenfreude)を多くの人が持っているからだろうと書いている。(この場合欧米人を想定していると思われる)

2008年のサブプライム問題による経済破綻を目にしても依然アメリカの経済とその政策をを評価し、この経済的苦境の原因は日本にあるとまでいう日本の学者やエコノミストは、サンフォード教授が言うようによほど日本が上手くいかないことを願っているのかもしれない。