日経のTVCMを見て思うこと

テレビ東京で流している日本経済新聞のCMに次のようなものがある。若い男女(ビジネスウーマンとビジネスマン)がタクシーの後部座席に少し離れて座り、それぞれがこれから行うプレゼンを成功させなくては、そのためにあと何か一つでも訴えるものがあればと考えているシーンがうつされる。若い人なのでマネージャーではないと思うが、二人でどこかの企業に製品か企画の売り込みに行くという設定なのだろう。

その状況で二人が同時に'今朝の日経’と言い、ある記事を思い浮かべ満足そうな表情をする。二人が思い起こした記事がどんなものかは明らかではないが、二人ともこれを話題にすればプレゼンが成功するという確信を持ち安心感を得るといった内容である。

日経を売るための広告だから、メッセージとしては日経にはこんなに良い記事が乗っていて、読んでいれば仕事上得するし、プレゼンテーションもスイスイですよといったところなのだろう。しかし私にはこのCMが効果的だとはとても思えない。
若い読者が二人とも気づく日経の記事なら当然クライアントも読んでいるはずで、それを持ち出しても何のサプライズもないし、プレゼンの質を高める効果もない。かえってプレゼンターの凡庸さを強調するだけだろう。

プレゼンテーションの成否は当然ながら内容であり、話し方が訥々としていても、深い分析に基づいた事実と論理的な説明があれば十分である。(外人相手のプレゼンテーションはそれなりの英語力が要求されるが、それでもネイティブのように機関銃の如く話す必要などはない)

クライアントが聞きたいのは自分たちでは考え付かなかった分析に基づいた推論とリコメンデーションである。またはあるアイデアについてビジネスの可能性をぼんやりとしかイメージできていない時に、外部の人間に具体的で現実に実行可能なビジネスモデルとして提示されるような場合、感心してビジネスの関係を築こうとするのである。 今朝読んだ日経の記事をきっかけにしてうまくやろうという発想など貧しすぎるのである。

日本経済新聞のトップマネジメントはこのCMを見ているのだろうか? これを見て承認したとすれば、幹部が新聞について何が問題かが分かっていない証拠だ。こんなCMを流しているようでは新聞購読者の減少など避けられない。要するに新聞は自分たちが何が求められているか、どうすれば読者のニーズに対応できるかが分かっていないのである。

わたしの息子も娘も一人暮らしをしているが新聞を取ってはいない。彼等は新聞を読まないわけではないが、4,000円以上払って購読する価値を認めていないのである。一方ではヘアカットには15,000円を払っても納得している。

何故こんな状況になってしまったのだろうか? 新聞がジャーナリストの魂を失ってしまったからだ。今の新聞の記事は広告主の反応を気にし、読者の反応に右往左往して、本来正しいと考える記事を書いていない。綿密な取材に基づいた、公平で信念に満ちた記事を書き続けることだ。その結果、大手企業の広告が減るかもしれないし、読者の反発を受けるかもしれない。それでも信念を曲げずに、正しいと信じる記事を書き続けていれば、心ある読者はその姿勢を理解し評価するようになるだろう。広告を取りやめた大企業も、その行動を読者である消費者に批判されれば、長い目で見たらそんなやり方は結局損をするということに気づくだろう。

日経だけでなく他の大新聞も同様にお粗末だ。彼らに見られるのは気概に欠けた貧しいエリート意識だけだ。新聞について書き始めると止まらなくなる。その役割が重要だと考えているからこそなので、またいつかあらためて書いてみたいと思う。