問題は朝日新聞及び社員の体質だ(2)

 朝日新聞と社員の体質こそが朝日が起こした数々の不祥事の根本で、この点を改めないと今後も深刻な問題を起こし続け再起不能になるだろうと前回指摘した。

 今回は朝日が抱える問題点を具体的な事例を上げて論じてみたい。一つは見過ごしてしまうような小さな記事の見出しについての感想である。米国プロゴルフは9月に2014年度が終わったが、9月は前年10月から今年の8月までの成績の上位選手だけが出場出来るフェデックスカップというプレーオフシリーズの4試合が行われた。ここに米国をベースにプレーしている松山英樹石川遼が出場した。しかし試合毎に下位選手は振るい落とされ、最終のツアー選手権に出場できるのは上位の30人だけで、松山はそれまでのポイントが28位でこれに出場した。米国ツアー参加一年目での快挙と言ってよい。

 わたしが違和感を感じたのはその一日目が終わった翌日の朝日新聞の見出しである。それは「松山出遅れ」というものだった。この記事からは松山が相当に悪い出来だったことを思わせるが、実際は20位のスタートで上位の選手ともそれほど大きな差はなかった。(トッププロだけが競うので僅差に多くの選手がひしめいている) ランク28位で出場権を得た松山にとって20位でのスタートは完ぺきなゴルフが出来なかったという点では不満が残るかもしれないが、決して悪いものではなかったはずだ。

 この一日目の結果について「松山出遅れ」という見出しをつけるのはどういうセンスなのだろうか? 松山はもっと良いプレーができたはずで、そうすればトップ10に入ることが出来たのではないかと考えたのだろうか? わたしはそうした考え方があることは理解できる。しかしそれを言えばここに出場した30人全員(初日トップの2-3の選手は違うかもしれない)が同じ気持ちを持っていただろう。ましてやほとんどが松山よりランクが上なのだ。最高のプレーが出来なかったとはいえ、それを「出遅れ」と表現するのは正確に状況を伝えているとは言えない。もし松山がランク5位以内にいて最終戦に出場したなら、この見出しでも間違いではないかもしれない。しかしランク28位の選手だ。実力通りのスタートだというのがまともな見方であり、そうした見出しにすべきだったろう。

 単に「松山20位でスタート」と書けば誤解を与えない見出しになるはずだ。問題は何故そうしないで前記の見出しをつけてしまうかである。正確な状況を伝えることより、人目を引く見出しをつけることを優先しているとしか思えない。「人目を引けば読んでもらえるし、読んでもらえれば松山の成績がそんなに悪いものではないと分かってもらえる。だからこの見出しで良いのだ」 そんな考えが伝わってくるようだ。見出しだけで中身を読まない人が誤解することなどは考えないのだろうか、それともそれはそれで構わないと思っているのだろうか。事実を誤解のないように伝えるのが記事の基本であるはずだ。しかし朝日新聞の記者はそうした基本をないがしろにしていることがこの記事からも分かる。こうした姿勢がもっと大きな問題について、結論ありきの記事を作り上げることに繋がっていると考えざるを得ない。

 
 
 これとは別にわたしが不快に感じるのは朝日の高校野球支援と報道である。朝日新聞は商売のためにこれをやっている。巧妙に高野連とNHKを巻き込み高校生の感情を高ぶらせて商売に使っているのである。新聞社も利益を上げる必要があるから、教育とか青春の努力とかに名を借りて商売をしても多少のことならやむを得ないとも思う。しかし今の高校野球のあり方はやはり常軌を逸している。この過酷な戦いを美化することでどれだけ高校生が肉体を酷使しているかまともに議論しようとしない。

 スポーツに関する非科学的な訓練、スポーツ界の伝統的な上下関係や隠蔽体質については朝日は特に批判的で上から目線の説教をするのに、高校野球になると未成年者の異常な肉体の酷使も純粋なスポーツ精神の発露として礼賛するだけだし、そこに巣食う利権や不正行為にも目を背けたままだ。スポーツライター玉木正之氏は前回の当ブログで紹介した高橋洋一氏が断られたのと同じ朝日系の雑誌から記事を依頼された時、高校野球の批判を書いたらよく分からない理由で没にされたという。高橋氏と全く同じ展開で、朝日は自分で依頼しておいて、記事の内容が気に入らないと(自らに都合が悪いと)没にすることを繰り返しているのだ。

 高校野球に関して、具体的にわたしが欺瞞的に感じて不快なのは以下の点である。

  1. 夏の狂ったように暑い時期に生徒にプレーさせる。テレビの天気予報が熱中症危険度をレポートし、戸外でのスポーツは避けるように警告していても、まったく無視をして野球をさせる。生徒の体への配慮などはない。
  2. 肘とか肩に障害がおこる可能性を知りつつ、投手が過度の投球をすることを放置する。(それどころか美化して持ちあげる)元巨人の桑田氏も甲子園で投げた経験者だが、彼は高校生の将来を考えて投球制限を提案している。まともな主張だが取り合おうとしない。息のかかった高校野球部の監督などに「全体のうちプロに行くのはわずかで、大半の選手はここで燃え尽きてもいいと思っている」などと発言させ、あたかも高校生がそれを望んでいるかのように仕組んでいる。
  3. 全国の各県から1校を選ぶとして高校間の不公平を放置している。(参加校が256を超える東京都と北海道は2校割り当てられている)地方の高校生を差別せずに希望を与えるためなどと理屈を言うのかもしれないが、人口が集中する都市部の高校生のやる気と希望を削いでいて、彼らにとっては全く理不尽な現実(割り当て)になっている。現在では神奈川190校、愛知は189校、大阪181校などが出場校が多い県で、勝ち残るまでに7-8試合戦わなくてはならないのに、40校以下の県が6つもあり(鳥取は25校にすぎない)代表になるのに2-3試合は少なくてすむ。夏の予選における2-3試合の違いは選手、特に投手への負担は極めて大きいだろう。甲子園で戦う時のコンディションに差が出ることは十分に考えられる。要するに予選での不公平の放置は甲子園での不公平につながっているのだ。

 
 こうした状況は都市部の学生が競争の少ない県の学校に移って甲子園を目指す現象を生んでいる。こうした行動を取る高校生や、それに依存する野球部監督や学校運営者が高校野球の理念に反しているのは明らかだが大きな問題にはならない。本来なら朝日新聞が取り上げて糾弾すべき事柄のはずだが朝日はそれを隠してしまうからだ。高野連も暴力行為などを起こした学校を出場停止にしたりの見せしめパーフォーマンスを行うだけで本質的な問題の解決に向かおうとしない。マスコミとスポーツ団体の権力が結びつくとこうも退廃するのだ。朝日も高野連も真の問題解決などをしようとしたら、自らの存在を問い直さなくてはならなくなるのでとても出来ないのだろう。だから余計に青春の美談の作成と不祥事校への罰則強化に熱が入るのだ。

 上記の2点は朝日新聞が抱える問題を示す限られた例に過ぎない。まだ他にもその体質からくる問題はある。どうしたら朝日はこの状況を改善できるのだろうか? 不正に関わったり、権力を間違って使った者は執拗に批判するが、自らが同様な問題を起こしたり続けていても、それを隠蔽しようとしたり、見て見ぬふりをしたり、言い逃れができなくなると適当に謝り反省するふりをする。そして自分たちだけが正しいという傲慢な姿勢で報道を続ける。しかもそれは事実を正確に伝えるのもではなく、あらかじめ持った結論に沿うようなデータだけを使用したり都合よく解釈したり、大げさな見出しをつけたりする。こんな体質を変えるのにはどうすればよいのか? 社長や社員が心を入れ代えようなどといってもとても無理だろう。何か思い切ったことをして自分たちを追い込むしかない。

 わたしが提案するのは夏の高校野球のスポンサーをやめることである。ここまで来たイベントだし、そのコンテンツ料は凄いものだろうから、どこかの企業に売っても良い。販売部数が落ちているそうだから(これからもっと落ちるだろう)これによって得られる資金は経済的な苦境を脱するのに役立つだろうし、再出発の原資にもなりうる。そして第三者となって今の高校野球のあり方がまともかどうか検討するのだ。そしてその鋭い批判精神を活かして高校野球の不正や欺瞞を追求して、本来あるべき姿を提案し、そこに持ってゆくのだ。自らが主導して大きくしたイベントを作り直すのだ。それが出来れば日本のスポーツ界にも良い影響を与えるし、朝日も立ち直るきっかけとなるだろう。口だけの反省は誰でもできる。(朝日新聞は特に上手い)しかし自ら血を流すアクションを取らないと本当の再生はできない。今日本のマスコミはほとんどが権力ベッタリとなっている。朝日がまともになれば日本のためにもなるはずだ。その意味でも朝日が血を流し本当の再生を目指すのを願っているし、徹底的な批判は心からのエールである。