横浜市長選2021;カジノは本当の争点か

 横浜市市長選挙は8月22日が投票日だ。8人の立候補があり、まれに見る激戦だ。中でも現市長の林文子氏、国家公安委員長を辞して挑む小此木八郎氏、そして革新政党の代表としての山中竹春氏、この3人の争いと言われている。マスコミの報道では菅首相も支持を明らかにして小此木氏がややリードだそうだが、林氏、山中氏との差は小さいと言われている。それ以外にも元長野県知事で作家の田中康夫氏、前神奈川県知事で参議院議員松沢成文氏なども出馬していて、単純に前記の3氏の争いとは言い切れず、中々の混戦模様だ。

 

 市長選の争点はIR(統合型リゾート)、要するにカジノ誘致か否かで、その他コロナ対策などのようだ。わたしは個人的にはカジノがあってもかまわない(別になくてもいい)と考えているので、本当にこれに対するスタンスで市長を選んでいいのかという疑問がある。候補者の中にもカジノに情緒的に反対する人の反発を避けるためにカジノ反対を訴えていると思われる人もいるように見える。こんな人は当選したらやはりよく考えたらカジノは必要だなどと言い出しかねない。

 また現職の林氏だけは前記の5人の中ではカジノ賛成で、これは一定数いるカジノ誘致派の票を得る作戦と見られる。全体で言えば8人の候補者のうち6人がカジノ反対なので、これらの候補者たちがカジノ反対派の票を食い合うのに対し、カジノ推進を訴える現職の林氏は賛成派の大半の票を得られると予想されている。 林氏は前回の市長選の時はそれまでカジノ誘致を表明していたのに、選挙直前に突如カジノについては白紙と言い出した。要するに当選するためにカジノ問題を利用しているだけでカジノに対して確たる考えがあるようには見えないのだ。前回の市長選で勝利した後でまたカジノ推進派になったが、これも菅首相(当時は官房長官でカジノ推進派)に気に入られるためだったようだ。  

 

 このようにカジノを争点として候補者を選ぶのは、今の横浜にとって最適な人を選ぶことにつながるかは疑問なのだ。なぜもっと骨太の議論を仕掛ける人がいないのだろうかとわたしは考えてしまう。例えば県庁と市役所はともに巨大な組織だがそこに業務の重複はないのか、県と市の仕事をうまく振り分けてもっと効率よい業務のやり方はないのかなど、素人のわたしから見ても突っ込みどころが沢山あるように見えるのだが。大阪都構想を打ち上げて戦いを挑んだ橋本徹氏のような問題意識を持つ人はいないのか。今のところそうした議論を本気でやろうとしている人は見られない。

 

 目の前に掲げられた一見重要そうな問題への姿勢で判断するよりも、横浜の問題点を洗い出し、中長期にそれを改善する方法を考える能力を持った人、その実行が困難でも信念をもってやり抜こうとする実行力のある人を選びたい。今回の候補者にそんな人がいるのかは分からないが、人物をよく比較してわたしの基準にに少しでも近い人を探すのが有権者の責任だと思う。今の政治家はもう最低のレベルまで来ている。自民党の河合元議員夫妻や名古屋の河村市長、その他野党にもいる愚かな議員たち、彼らを選んだのはわたし達有権者なのだ。愚かな議員と同じくらい愚かなのが選んだ人間たちだ。同じ過ちを繰り返すのはやめたい。少しだけでも従来より頭を使って候補者を選び、選挙に臨みたい。横浜市長選はそれが問われていると思う。

 

7月もどうにか過ごした;ワクチン、コロナ感染者、オリンピック

 7月23日に2回目のワクチン接種を終えた。みなとみらいの大接種会場でモデルナの接種を受けた。とりあえず少し安心だが、新種のウィルスが増えているので、これからも用心は必要だ。2回目の接種後は副反応が出る確率が大きいと聞いていたので、それなりに心配していた。 妻がその夜に寒気がすると言い出したが、わたしは注射した腕が1回目よりずっと痛かったこと以外は特に問題はなかった。翌朝妻は38度2分の熱が出て辛そうだったが、わたしは36度5分で報道されていたように女性のほうが副反応が強いのかと感じていた。

 

 昼前になるとわたしも寒気を感じ熱を測ると38度3分あった。頭痛にくわえて足の筋肉がひどく痛いのでバファリンプレミアムを飲み寝ることにした。うつらうつらとしていたが熱感と痛みは増すばかりでとても苦しい。午後4時半ころに熱を測ると38度8分になり、まだ上がりそうな感じがしたので、最初の服用から5時間ほど経った頃にもう一度バファリンを飲み少し眠った。夜の8時半頃には38度になりだいぶ楽になった。このあたりの体温の1度の変化はとてもインパクトがあると思った。心配なので寝る前にもう一回バファリンを飲んだ。

 

 翌朝、つまり接種の2日後だが、妻もわたしも熱が37度2分に下がり悪夢のような時は過ぎたが、それでも足の筋肉は痛いし、気怠さが強く何かする気にはなれない。この日は一日こんな感じでダラダラしていたが、夕方には37度6分まで熱が上がった。完全に熱が下がり、筋肉の痛みもなくなったのは翌日、接種の3日後のことだった。

 

 副反応は個人差があり、わたしの場合は聞いている話からは少し回復が遅い気がしたが、体調が元に戻るとそれでおしまいという感じがしてスッキリした安心感があった。これからは若い人たちが受けることになるが、そして若い人も副反応の可能性があるという報告だが、やはり受けたほうがいいと思う。副反応と言ってもつらいのは1日くらいだし、おさまればケロッという感じなので安心にはかえられないと思う。医師でもないわたしには分からないことだが、ワクチンを接種してもコロナとは用心をした付き合いをしないといけない気がする。本当に安心できるのは効果の高い治療薬が出来て流通する時なのだろう。

 

 一方でコロナの感染者数は急上昇している。東京では3日連続で3000人を超し、神奈川でも3日連続で1000人超え、特に30日は1418人の新規感染者が報告された。千葉、埼玉でもひどい状況で、沖縄も最悪の状態だ。各県の数字は過去最悪というだけではなくもっと酷くなることを予感させるものだ。その割には菅首相の会見での発言は危機感に乏しく映った。同席した分科会の尾身会長が必死の訴えをしていたのと比べるとあまりに違う。どう見ても尾身氏の方の話に説得力があり、最高責任者の菅首相は他人事のような感じだった。尾身さんは現状をしっかりと把握し、その改善のために取るべき行動が明確になっていて、信念に基づいて訴えていたのが見ている人の心に響いたのだと思う。菅総理の関心は現状をどうにか乗り切って衆議院選挙、自民党総裁選挙に勝つことのように見えた。コロナ対策は重要だがそれは国民を守るというより、自身の権力基盤を守るためという印象を与えている。本人もそれが分かっているので迫力を持った発言にならない。まあ正直と言えば正直なのだが、一国のリーダーの雰囲気はない。

 

 昨年コロナが拡大している中でGo-to-Travelを実施した時、菅首相は盛んに「Go-to-Travelがコロナ拡大の原因だというエビデンスはないと専門家も言っている」と主張した。確かに科学的に厳密な意味でもエビデンスはないというしかないだろうが、Go-toがそのきっかけとなったのは明白だ。恐らく分科会の委員たちもそうした前提で「エビデンスはないが・・・」と言ったのだろうがそれをうまく利用されたのだと思う。菅氏のスタンスは分科会の意見を冷静に聞いて判断を下すのではなく、都合の良いように解釈して専門家の意見だとして利用するか、気に入らないと無視する。科学的というか知性的というか、そうした基本姿勢が全くないとしか感じられない。(周りの茶坊主たちがそんな入れ知恵をするのかもしれない)なのに「安心安全な形でのオリンピック」などと繰り返すから国民は白けてしまうのだ。今でも人流は減っているなどと根拠不明の発言を続けている。経済を回したい、国家事業のオリンピックを成功させたいのは分かるが、国民を大切にしない国家の繁栄とは何なのだろうか。コロナ感染が増えれば、株価だって下落するのだ。

 

 日本のコロナの現状は専門家たちが危惧した展開になっている。菅氏はそのことをきちっと認めて次の手を打つべきだ。(この期に及んでどんな手があるのか分からないが)身を捨てて対策を考え訴えることしか国民の信頼は得られない。選挙だ総裁選だなどと考えている場合ではないだろう。

 

 いろいろと議論がある中で強行されたオリンピックはそれなりの盛り上がりを見せている。矢張りみんなスポーツが好きなのだし、日本人選手の活躍には胸が躍るのだ。だからこそオリンピックを変な形で利用しようとしてはいけないのだと思う。これまでの結果を見ているとメダル本命と言われた人たちが軒並み負けている反面、新しい競技に出た若い人たちが活躍している。オリンピックのメダルのプレッシャーの凄さを思うと同時に、そうしたものから少し離れている若者たちが力を発揮しているのにたくましさを感じる。日本のスポーツ界もやはりある種の転換期に差し掛かっているようだ。そうした中で柔道の選手たちの活躍には目を見張る。勝つというだけではなく、その勝ち方が見事だし、試合後の態度にも感心する。こんなに凄い柔道チームは初めてなのではないかとさえ思う。恐らく監督の井上康生指導力の結果だと思う。彼の真摯な柔道が今の選手たちにしっかりと伝わっている。指導者の重要さがあらためてはっきりと分かる。オリンピックが始まった以上大きな問題がなく終わってくれるのを祈るばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

天気予報の傾向

 明日ゴルフの予定なので天気が気になる。もうこの年なので雨が降ろうが断固やるという姿勢はない。1ミリ以上の雨が2時間くらい降る予報なら止めというのが基本姿勢だ。しかし天気予報を見てみるとこれが各社大きく違うので戸惑う。ある社の予報を採用すると明らかに中止なのだが、別の社の予報だと全く問題なくやることになる。1週間とか3-4日先の天気ならいざ知らず、明日の予測でこんなに違うのも珍しい。データは同じはずなのに解釈が違うということなのだろうか。

 

 具体的に言うと朝8時のYahoo天気予報はゴルフをする時間の明日9時から15時までが雨で、その後曇になっている。雨は9時ころ2ミリでその後1ミリだ。これでは中止もやむをえない。日本気象協会の予報は9時から15時が曇でその後雨になっている。Yahooとまるで逆だ。これなら明日はやれる。その他gooとかtoshinの予報は気象協会と同じで、気象協会をベースに予報を出しているように見えた。Weathernewsは9時から11時まで曇で、その後雨になっている。雨は0.5ミリから1ミリの予測だ。ゴルファーの友達ゴル天は15時までは曇と気象協会と同じだ。こう見ると気象協会が数的には優勢な感じがするが、多数決で天気が決まるものではない。

 

 それにしてもなぜこんな違いが出るのか不思議な気がする。天気図等の同じデータを使っても予想に違いが出るのは、そこにデータの解釈の違いや予報士の思惑というか性向が絡むからだ。予報士は外れた時の批判を避けたい、または小さくしたいという気持ちを持っている。しかし当たり外れは避けられないので、外れた時の批判を小さくするような予報に振れやすい。要するに晴れと言って雨が降るより、雨と言って晴れたほうが非難の度合いが小さいと考え、天気図の読みが難しい場合、どちらかというと雨を予測するのだ。この辺りはわたしの下記のブログに詳しいので興味のある方はどうぞ。

 

fy-consul.hatenablog.com

  明日やるかどうかの判断はわたしに委ねられているので責任重大だ。(それほど大げさではないな)午後3時くらいの予報で判断することになると思うが、現時点では気象協会の予報を採用したくなるのは、やはりやりたいからかな。明日どうなるか楽しみだ。

 

6月の出来事;ワクチン、スポーツ、読書、ギター

 6月24日にコロナワクチンの1回目の接種を受けた。 思ったほどの副反応もなく今のところ良かったというところだが、71歳という年齢を考えるとワクチン接種にそんなに真剣になるのもどうかなという気もする。これからどれだけ生きられるのか分からないからだ。1-2年で死ぬかもしれないし、15年くらい生きるかもしれない。そういうことを考える年齢になった者はバタバタせずに自然に生きていくほうが良いと思う。それでも感染したら周りに迷惑がかかるし、苦しい思いをするのも嫌だから接種するのが正解だろう。

 

 残りの人生が少ないことを意識せざるを得なくなったからと言って、これからの日々を立派に生きようなどとは考えない。まあ楽しくやれて年とればいいやという感じだ。もっとも体力も気力も落ちてきて、体にも不具合が増えてくると、楽しくやるのもなかなか大変なのだ。そう考えると同世代の政治家や財界人と言われる人たちの活力には驚く。元々活力がある上に、精力的に動くことで活力を維持しているのだろうと想像してしまう。何か業が深いと感じてしまうのだが。70歳や80歳になってお国のためにと考えるのは立派だが、いつまでも第一線にいるのではなく、もっと違う形での貢献を考えたらよいのにと思う。今見えないものが見えるようになるし、そうしたほうが自分だけではなく、社会のためにもなる。

 

 菅首相もわたしと同世代だが、国会での答弁や記者との質疑でも、訳の分からないこと言い続けて見苦しい感じがする。根底にある自分の地位、権力を維持したいという欲求が透けて見えるからだ。国にとって何が正しいのかを基準にして発言すれば、国民も聞く耳を持つと思う。その結果支持が上がるかどうかは分からないが、国のためになると信じて政策を語ることは社会の雰囲気をよくするはずだ。それで十分だと思うのだが、菅首相はそう考えてはいないようだ。もう一歩下がって物事を見つめれば、違う風景が見えてくるはずなのだが。

 

 MLBでの大谷が凄い。朝エンゼルスの試合を見て大谷の活躍に興奮してしまうと、夜阪神タイガースの応援にもう一つ熱が入らない。頂点のレベルの活躍を見てしまうとNPBが色あせてしまう。同じことがゴルフにも言える。朝USPGAを見てから、午後ジャパンゴルフツアーを見るとちょっと盛り上がらない。マスターズ優勝の松山も凄いのだが、やはり大谷の天真爛漫な活躍はもっと上を行っていると感じる。わたしたちはきっと歴史的な光景を見ているのだと思う。コロナが収まったらアナハイムに行かないといけない。大谷がいつまでエンゼルスにいるか分からないが。

 

 陸上の日本選手権を見て日本人選手の何人かがトラック、フィールドで世界レベルになっているのに驚いた。オリンピックでも頑張って欲しいと思うが、新規の感染者が急増している今、世界中から選手団を受け入れるのは正しいのかと考えざるを得ない。選手には気の毒だが、やはり中止が妥当な選択だと思うのだが。このオリンピックが日本が没落するきっかけにならなければよいと考えてしまう。人が必ず死ぬように国もいつか滅びる。そのきっかけを自らの選択で作ってしまうかもしれないのが怖い。菅首相などはこうしたシナリオを考えないのだろうか。それともそうした弱気の考え方がいけない、そうならないように頑張るのが重要だなどと、戦前の軍人のような発想をしているのだろうか。そう考えると不快になってくる。

 

 ミステリーを相変わらず読んでいる。雫井脩介の「虚貌」と東野圭吾の「さまよう刃」を読んだ。どちらも面白かった。読む本がなくなったので書棚から丸谷才一の「思考のレッスン」を引っ張り出して読んでいる。もう何度目かだがいつ読んでも面白い。ミステリーもよいが、こうした本当の知性と教養に触れると目が覚めるような感じになる。世界の文学、哲学、芸術に深い知識を持ち、作家魂を失わず、文壇などにこびず、ぶれない論理と感性に基づいた話にはいつも感銘を受ける。

 

 5月半ばにゴルフをした時に、右の中指の爪を割ってしまった。どこかにぶつけたのだと思うが、そこは前にもぶつけて小さな割れ目が入っていたところだ。仕方ないので右手の指の爪を短くした。指弾きが出来ないのでピック奏法を練習しようと考え、「ピックで弾くJAZZ STANDARD GUITAR SOLO」いう楽譜本を買った。これが中々難しいが楽しくて今はまっている。頑張ればできる曲もあるのだが、コードがひねってあるのと、裏拍をとって弾くのが厄介だ。普通に弾いては全然ジャズの感じが出ない。中々奥が深いと思う。爪をわったことで新たな挑戦が出来て、まさに怪我の功名だ。先は短いのにやりたいことは沢山ある。まあ悪くないな。 

 

 

 

腹立たしくて書く気が・・・

 明日で6月だ。5月はブログの更新を1回しかしなかった。元気にゴルフをしたり、ギターを弾いたりしていたのだが、書く気がおきなかった。オリンピック関連のニュースやコロナへの政府の対応を見聞きすると、何か書く気にはならなくなっていたのだ。書くべきことはあるのだが、政府への文句はいろんな人が言っている上、菅首相のリーダーとは思えない言動や、他の五輪関係政治家の人ごとのような無責任な発言を聞くと呆れ果ててしまいどうでもいい気になってしまった。

 五輪という大イベントにどう対処するのが国益に合うかといった深い思慮もなく、自分に火の粉が飛んでこないように無内容の発言を繰り返す政治家たちを、なぜ選んでしまったのか、わたし達も反省しなくてはいけないと思う。マスコミもひどいもので、現在の状況下での五輪の意義を問う骨太の議論はせずに、政治家の発言や海外のメディアの主張を紹介するだけだ。最近になって朝日新聞が社説で五輪中止を主張したがいかにも遅い行動で、これでは五輪後にコロナ感染が最悪になった場合に備えての立場作りとしか思えない。IOC幹部の連中の愚かな発言にも驚くが、これを正面から批判する人がいないのも嘆かわしい。

 

 コロナのワクチン接種でも横浜は人口が多いせいか全く予約が出来ない。予約日の9時にわたしがパソコンで、妻が携帯で予約をしようとするが全く取れないのだ。国民全員に接種をするのが目的で、高齢者の分のワクチンは確保したといっているのに、予約が取れない仕組みを作ってどうするんだと思う。予約が取れた人に聞くと予約開始日に家族4人で一斉にPCと携帯で申し込んだそうだ。全員接種を詠いながら早くて幸運な人だけが予約できる仕組みではまずいだろう。行政側から地区ごとの住人に接種日を伝え、都合の合わない人だけは変更するようにすればこんなバカバカしいことは避けられるはずだ。1日百万人などと根拠のないことを言うのではなく、官僚が考える実施手順を広い視野から修正させるのが政治家の仕事だと思うのだが、そんなことが分かる知性を持った政治家はいないのだろう。安倍内閣以降人事権を持って官僚を意のままに動かそうとしているが、仕事は丸投げでどうしたら効率的で国民のためになるかなどとはまるで考えないようだ。

 

 こうした状況を見ていると多分日本はどんどんダメになっていくと思う。そうした兆候はずっとあって従来のシステムが機能不全を起こしていたが、だれもそれを問題視せず変えようとしなかった。多くの人たちはそれより今の仕組みや体制を維持して、既存の権益を守ろうとしてきた。それが最もはっきりとしているのが国会議員の世襲化だ。国会議員に相応しい能力を持っているのか、すなわち知性、行動力、粘り強さ、国のために犠牲になる覚悟などの有無を見るより、担ぎやすく、当選させやすいという理由で世襲議員を選んできた。そして総理や重要大臣もその中からもっとも有力な世襲議員から選ばれてきた。もちろん世襲議員にも優秀な政治家はいるだろうが、大半は国家のビジョンを作りそれを実現するという気迫や能力とは無縁だ。安倍、福田、麻生、安倍など続いた総理はこうしたメカニズムで生まれてきた。そして日本はどんどん劣化してきた。安倍、麻生の思惑で誕生した菅総理世襲議員ではないが、リーダーシップに欠ける菅氏になって、これまでに作られてきた政治の問題点が現れてきたのだと思う。

 

 わたしは70歳を超え先は長くないが、それでもこの国が今のままで衰退していくのは困る。経済的な繁栄は重要だが、それより若い人たちが前向きに生きてゆこうとする、そしてもっと公正かつ公平な社会を(日本だけではなく)作りたいと思う環境が大切だと思う。そんな夢を国民に訴え実行してくれる人を探し、リーダーに選びたい。一体そんな人がどこにいるのかと思ってしまうが、とりあえずは地方自治体のリーダーの中から選ぶのがいいと思う。元大阪知事の橋本徹氏が初めのまとめ役としてはいいかもしれない。国と国民のために命を捨てるのも厭わない覚悟を持った人しか、国のリーダーにはなりえない。

 

 こんな中でも気分が良くなるのが若いアスリートの活躍だ。MLBの大谷、阪神の新人佐藤輝、PGAの松山、NBAの八村などの活躍を見るたびに嬉しくなる。新人の佐藤以外はみな世界の舞台で活躍している。日本基準ではないのだ。政治家にもそうした人が出てきて欲しい。

 

70歳で初めての東野圭吾と伊岡瞬

 本屋でぶらぶらして本を探すのは大好きだ。もっとも本に限らずCDとか洋服を見て回るのも嫌いではない。コロナ禍であまり出かけなくなってぶらぶらショッピングが減り、暇なのに面白そうな本が手元にないので、息子の部屋の本棚を探してみた。(息子は独立して家にいないが部屋は残っている)村上春樹村上龍以外はわたしと全く作家の好みが違う。その中で東野圭吾と伊岡瞬の本を手に取った。東野圭吾については 何をいまさらといわれそうな大ベストセラー作家だが、わたしは読んだことがなかったのだ。映画やテレビドラマに使われることが多い作家なので、今更読むのも何となくミーハーに感じて敬遠していた。伊岡瞬については名前もよく知らなかった。

 

 手に取ったのは東野圭吾は「白夜行」で伊岡瞬は「悪寒」だ。どちらも面白かったので他の本も読んでみた。東野圭吾は「幻夜」「新参者」「危険な ビーナス」「祈りの幕が 下りる時」で伊岡瞬は「本性」「痣」「代償」だ。「幻夜」と「新参者」は息子の部屋にあったものだが他のは本屋でわたしが買った。東野圭吾の小説は息子の部屋にまだ沢山あったのだがそれらにはあまり興味を引かれなかったので自分で探して選んだ。わたしは二人の作家の本に似たような印象を持った。それは犯罪者が主人公のものが多かったからだろう。「白夜行」「幻夜」「本性」がそうで「代償」は悪人が主人公ではないがその悪さの描写は際立っていた。犯罪者が主人公のものはノワール小説という分野でわたしは特に嫌いでもないのだが、前記の本は話としては面白いのにあまり好きになれなかった。それでも「本性」は主人公の行動にペーソスがあり、小説全体が乾いた感じに仕上がっていて楽しく読めた。他の3冊は不幸な境遇で育った主人公が犯罪を重ねてゆく話で、小説としての展開には興味を引かれ最後まで読んだが後味が良くなかった。これは多分、作者が描いた主人公または登場人物の悪行とその設定がとてもリアルだったためで、好きになれないのはわたしの嗜好のせいだ。暗い話は好きではない。特に「代償」の悪人ぶりには辟易としたが、これは作者から見ると成功なのだろう。

 

 一方で東野の「新参者」と「祈りの幕が下りる時」は加賀恭一郎という刑事が主人公の小説でとても面白く読めた。勇敢で頭が良く、誠実なヒーローにはわたしはとても弱い。そのうえこの主人公はハンサムなのだ。映画では阿部寛が演じたそうだ。「危険なビーナス」もひどい悪人は出ずに、昔の殺人を暴く話で面白かった。伊岡瞬の「痣」の主人公も刑事で妻が殺され失意の中で起こった事件の解決と妻の犯人捜しを行う。主人公の真壁という刑事は前述の加賀恭一郎とは違ってタフでハードボイルドな設定だが、若い相棒で軟弱な宮下と組んで行動する様子が可笑しい。この二人は「悪寒」「本性」にも現れる。

 

 やはり食わず嫌いというのはあまり良くなく世間を狭くする。息子の本を読むのもそうしたマイナス点を補うメリットがあるようだ。もう少しこの二人の本を読んでみようと考えているし、暗くていやだなと感じた「白夜行」の映画版を見てみようかという気になった。

 それにしてもオリンピックを本当にやるのだろうか。菅首相は重要なことは明言せず、答えにくい(国民が本当に知りたい)質問には答えない。責任を追及されるのを恐れて何もまともなことを言わない。能力のない管理職のようだ。丸川五輪大臣などいてもいなくてもいい存在だ。それでいて役人などがミスをすると責任をとらせる。いつから政治家はこんな風になってしまったのだろうか。英国のジョンソン首相が国民に向かって、多くの方がコロナで亡くなったことを詫び、すべて自分の責任だと言っていた。確かにコロナ初期のジョンソンの対応はひどかったし、こうした発言も政治的効果を狙ったものと言えるかもしれないが、それでも菅首相の泳いだ目で意味のない話をするのに比べると、政治家らしい雰囲気に満ちていたと思う。

 安倍元首相は菅首相のことを立派に職責を果たしているし、後継の首相も菅氏以外にはいないなどと持ち上げていたが、どんな思惑でこんなことを言っているのだろうか。少なくとも国民のことを考えての発言ではなく、前総理としての自分の責任を曖昧にするためか、今後の自身の権力維持のためとしか思えない。安倍氏の発言が本音ではないことはみんな分かっている。こんな見え見えの嘘しかつけない政治家とは何なのだろうか。政治家に嘘はつきものだが、国民が分からないか疑わしくても本当かもしれないと思わせるレベルの嘘をつくのが力量というものだろう。最近の権力者は見え見えの嘘をつき、それを正しいとごり押しする、要するに追加で嘘をつくことを平気でやる。これでは発言全部が嘘になってしまう。せめて正しい発言とうその比率は8対2くらいにしてほしいものだ。今までに何度も書いたが本当に今年オリンピックなどやったら、日本はダメになる。太平洋戦争に突入した時と同じだ。

 

 

 

 

 

 

 

プロゴルファーのスイング改造

 松山英樹のマスターズ優勝でゴルフ人気が高まるのは嬉しいことだ。実際ゴルフ場はとても混んでいる。老人が多いのは事実だが、30-40歳代の人も増えた気がする。今日のテーマはプロゴルファーのスイング改造についてだ。アマチュアゴルファーにプロが直面する技術的な問題など分かる由もないが、改造に踏み切ろうとする気持ちを想像することは出来るのでそれを書いてみよう。松山選手は自分のスイングを信じ、その精度を高めることでマスターズを制覇したが、トップゴルファーの中にはスイング改造を通してゴルフのステージを上げようとする人がいる。日本では石川遼とか女子ゴルフの渋野日向子などがそうだし,世界のトップではR.マキロイもスイング改造中だと伝えられた。

 わたしの年齢だとスイング改造というと中嶋常幸を思い出してしまう。彼は全盛期に全英優勝を惜しくも逃した後ぐらいでスイング改造に取り組んでいた。

 

 どんな技術的な問題があって、トッププロがスイングを改造しようと思うのかはわたしのような素人には分からない。しかし興味を引くのはすでに実績のある選手がなぜそのスイングを変えようと思うのかという点と、その改造が必ずしも良い結果をもたらしていないという事実だ。成績の良くない選手や、年齢を重ね昔のような筋力や体力がなくなった選手がスイングを変えようとするのは理解できるが、強い選手が過去にスイング改造した人たちの結果を知っているのに、なんであえてリスクを冒すのだろうか。

 

 中嶋常幸は4大メジャーすべてでトップ10入りし、そのスイングは世界一美しいとまで言われた。その彼がスイング改造に取り掛かったのはメジャー優勝にあと一歩と手が掛かった後だった。彼はその時に自分に足りない何かを感じたのだろう。世界のトッププロに交じってプレ-して感じたのだと思う。その何かを得るためにはスイングを変えるしかないと考え実行した。しかし彼はその後スランプになり、長い間海外はおろか国内でも勝てなくなった。数年後に国内ツアーで何勝かしたが全盛期は過ぎていた。前のスイングのまま足りないピースを埋める練習をしたほうが良かったのではと第三者は考えてしまうが、中嶋にはそれしかなかったのかもしれず、そう考えると彼は後悔などしていないかもしれない。今ならその時のことをどう思うのか訊いてみたい気がするが、彼が信じてやったことだろうからそんな質問は意味ないのかもしれない。

 

 石川遼も米国PGAで戦い、自分に足りないものを感じてスイング改造を行った。石川は今もスイング改造途中で徐々に目指すものに近づいていると語っている。しかし今年招待で出場した米国PGAソニーオープンとホンダクラシックは予選落ちしたし、2021年の国内最初の試合、東建ホームメイトでも予選落ちだった。改造途中なので本人はそれほど悲壮感はないとの報道だったが、ガッカリなのは否めない。石川は16歳で日本ツアーで勝利し、17歳でプロになった、いわば天才だ。2012年から米国PGAツアーに参加した。21歳の時だ。5年ほどいたが最後はシード権を失い国内ツアーに復帰した。彼についてはネットなどでネガティブなコメントをよく目にするが、わたしは米国での成績は決して悪いものではなかったと思っている。何度もベスト10に入ったし、2位が二回ある。彼の後で参加した小平智は運よく1勝を挙げたが、全般的な成績としては石川のほうが上だと思っている。

 しかしこの成績は石川が目指すもの、ツアーで優勝し、メジャーで上位に行く、からは遠いものだったのだろう。おそらく飛距離を求めスイング改造に取り掛かった。しかし腰痛もあってスイング改造は完成せずにシード落ちとなった。体幹をもっと鍛えるトレーニングをし、従来のスイングの完成度を高める方向を目指したらもっといい結果になったのでは考えてしまう。しかし米国で足りないものを感じた石川が、もっと上のステージに行くためにはスイング改造しかないと考えたのだろう。

 

 同じことが女子ゴルフの渋野日向子にも言える。渋野は石川と違ってすでに2019年の全英女子ゴルフオープンに勝っている。ルーキーイヤーでの世界メジャー制覇だ。目も眩むような成功をしたのだから、そのゴルフを突き詰めればいいと思うのだが、彼女もスイング改造を決断した。翌年の全英女子に予選落ちし、その後の米国ツアーでも良い結果が得られなかったので、全英勝利は幸運で真の実力がないと考えたのだろう。しかしその後の全米女子でも優勝争いをしているからその実力は折り紙付きだとおもうのだが。彼女もやはり足りない何かを見たのだろう。極端なまでにフラットになったスイングには驚いたし、今のところ良い結果もないが本人は改造に迷いがないそうだ。一段上のステージに行くには不可欠な改造だと考えているのだろう。

 

 トッププロとしてマスターズ以外のメジャーをすでに制したR・マキロイがスイング改造をしようとした理由はデシャンボーの飛距離を見たからだそうだ。デシャンボーが昨年の全米オープンを制したのはその圧倒的な飛距離のせいだと考えたのだろう。マキロイも十分ロングヒッターなのだが、その彼でさえデシャンボーの飛距離には魅力を感じたのだろう。スイング改造中の彼は今年のマスターズには予選落ちした。

 

 こうした例を見ているとどんなに上手いプロゴルファーも自分に足りないものを見つけるとスイングを改造したくなるようだ。その足りないピースを手に入れればもっと上のステージに行けると考えるのだと思う。彼らは特別な才能に恵まれたゴルファーなので、これまでゴルフの練習や様々なトレーニングでスイングに磨きをかけてきた。おそらくっ練習と努力で何でも身につけてきたのだろう。だから自分にない重要なものを見つけると手に入れようとする。しかしその足りないピースを手にいれることで、自分が従来から持っていた何かが変化することがあるように感じる。足りないものを補ったが、持っていた利点が微妙に損なわれるといったことが起きているのではないか。従来から持っていた利点は元々のものだけに、自分では変化しても気づきにくい。だからスイング改造をしてもトータルでは何かマイナスが起きていて、結果につながらない気がする。

 

 要するに隣の芝生は青いのだ。だからそれを求めてスイングの改造を目指すが、自分の庭も良い青色なのにそれを忘れてしまう。だから改造後の芝生はそれなりには良くて綺麗だが、何か前の芝生ほどしっくりこないし、隣の芝生の色とも違う。でも石川や渋野は今の方向を変えることはないのだろう。自分に足りないものを得ることでこれまで成功してきたのだから。今のレベルになったら従来と同じように改造の成果が得られるかどうか分からないとは考えないようだ。松山が自分のスイングにストイックに磨きをかけてマスターズを制したのを見ても自分たちが信じた道を行くしかないと考えているように見える。そう思うとトッププロゴルファーは因果な商売だが、なんでも一流になるとそうなのかもしれない。ファンとしては石川や渋野の改造が上手くいって良い結果をもたらすのを祈りたい。