もう四月だ。早いなあ

 2019年ももう4月だ。仕事をしていた頃なら、第1四半期(first quarter)が終わって仕事の進捗、特にその年の重点プロジェクトの進捗状況が気になるところだ。退職者の今は「もう4月か、時間が過ぎるのは早いなあ」という緩いものだ。新しい年号も決まり世の中は騒がしいけれども、こうやって時間を色々な形で区切って物事を考えようとするのは中々の知恵だ。しかし流れる時間を区切って何らかの(時には必要以上の)意味を持たせることの問題もあるはずなので 、単に浮かれるのではなくもう少しこうした点を考えてみたらどうなのか。TV番組を見ているとそんな気になる。

 

 「令和」は響きにリズムがあり、字としても新しさを感じさせるのでいいと思う。それにしても年号決定、発表における政権幹部の緊張ぶりを見ていると、天皇の存在とは何かを改めて考えさせられる。わたしは天皇制を否定しないし、どちらかと言えば擁護派だが、’天皇は日本国の象徴’という表現は巧みだがやはり曖昧だなと感じる。天皇が国事に関して行う役割は形式的、儀礼的で国政に関しての権限はないと定められていても、安倍総理以下の権力者たちの対応はそれ以上の存在であることを示しているようだ。こうした対応を示すことで天皇の権威を高めて、それを何かの時に上手く使おうという深く秘めた意図があるのではと考えてしまう。

 国民がその存在を曖昧だと感じるのだから、外国から見たらもっとよく分からないと思う。天皇をめぐって海外から理解不足のような発言が起こることがあるが、その原因の大きなものはこの定義の曖昧さだという感じがする。

 

 あっという間に過ぎた3か月だったが、わたしにとっても色んなことがあった。もっとも大きなインパクトがあったのは友人の死だ。中学・高校と一緒に学び遊んだ友人が3月に急死した。彼は歯科医でまだ現役だった。穏やかな人柄の信頼のおける歯科医で、わたしも40年近く彼の診療を受けていた。2か月に一度くらい他の同級生を入れてゴルフをしていた。わたしが送った5月のプレー予定日に対し、オーケーのメールをくれた翌々日に死去の知らせがあった。知らせてくれた人によると脳梗塞ではないかということだ。

 メールをもらったばかりなので本当に驚き、もう何があってもおかしくない年齢になっていることを実感した。彼が死去してから毎日練習していたギターを弾く気が起きなかった。ケースを開けギターを取り出し、チューニングをすることが出来なかった。ショックが大きかったというのは事実だが、それだけでは弾けなかったことの説明としては不十分だと感じる。あえて言うなら、上手くなくても毎日練習したのは、これを続ければ何年か後にはもっと上手くなると思っていたからだが、その考え方が脆いものだと分かったということだ。これから何年も弾けるなんて不確実な期待にすぎない。人はいつか必ず死ぬ。その日は遠くない年齢になっている事実を思い知ったのだ。

 10日経った昨日久しぶりにギターを弾いた。何故か分からないが左手のひとさし指が痛くてうまく弦を押さえられなかった。左膝の痛みも相変わらずでゴルフの練習もできない。でも生きていられるのだからこんなことは我慢しないといけない。

 

 明日からはオランダとベルギーに行く。ツアー参加なので気楽だ。ベルギーは出張で行ったことがあるがオランダは初めてなので楽しみだ。直行便だしホテルはブリュッセルアムステルダムだけなので楽なのもいい。2日前から奥歯が痛く、近所の歯医者に初めて行ったら亡くなった友人の大学の後輩でめぐりあわせを感じた。帰ったら治療をするとして抗生物質を処方されたので当面酒が飲めない。飛行機でのワインを我慢しなくてはいけないし、ベルギービールも飲めない。がっかりだが健康第一だから仕方がない。旅の様子は帰ったらブログに載せます。