捨てられないカレンダー

 いろんなカレンダーをもらうが、あまり壁に張ったりしないのでいつも余って捨ててしまう。去年の12月にも株を保有している企業の他、車メーカー、カード会社、保険会社等からカレンダーが送られてきたが、新年から使用しているのはわたしが仕事をする部屋に壁掛けをひとつ、ギターを弾く部屋に卓上をひとつ、台所に小ぶりの壁掛けを妻がひとつ、その他に2つのトイレに小さなものをひとつずつだ。後は捨てることになるので妻ともったいないと話している。欲しい人がいるかもしれないから上手く処理する方法があるといいのに思う。

 

 そんな中1月に入ってまたカレンダーが送られてきた。捨てようかと思いつつ表紙を見ると可愛い子供の笑顔なので、思わずめくって各月をぱらぱらとめくってみた。初めは気が付かなかったのだが、途中で待てよと思い1月から改めて各月の写真を 確認して驚いた。各ページの写真にわたしの名前が組み込まれてるのだ。それはカレンダー下のThank you from childrenのメッセージと対になって意味を持ってくる。

 

 これはユニセフが送ってくれたカレンダーである。いつからか忘れたがユニセフに毎月些細な金額を寄付している。クレジットカードで落ちるので普段は全く忘れてしまっていて、確定申告の時に所得控除をしようとして思い出すくらいだ。長く支援していることに感謝してこのカレンダーを送ったという手紙を読んで、始めてから20年以上たつことを知ったのだが始めたきっかけも覚えていない。善行とは無縁の人生だから、たまたま新聞か何かでユニセフの活動やメッセージを読んでふと始めたのだろうと思う。

 

 わたしは自分で自己肯定感が乏しい人間だと思っているので(実際そうなのだ)、何かをして上手くいっても心から良かったと感じることがあまりない。自分ではよく分からないが、多分両親から褒められたことがあまりないからだと思う。割合恵まれた家庭で育ったと思うが、何故か親はあまり褒めなかった。今思い起こしても、また自分の子供や孫を見ていても、わたしは良いところがそれなりにあった子供だったと思うのだが、両親は悪い点や劣った点をを指摘することが圧倒的に多かった。おそらく褒めているとろくな子供には育たないといった信念があったのだろう。自己肯定感が乏しいと自覚したのは大分年取ってからだが、もっと褒めてもらっていたら楽しく前向きな人生を送れたのではと思っている。こう書くと周りの人は信じてくれないかもしれないが、明確な自覚はないままにそう悟られないように生きてきたのだと思っている。

 

 だから今回のカレンダーは驚きと同時に嬉しさを運んでくれた。先にも書いたように本当に些細な金額だし、本人が普段は忘れていることなのに、感謝されたのだ。感謝が単なる手紙だったら心に響かなかったろうが、こんなカレンダーを送られると自分がしてきたことが少しは意味のあることだったと感じていい気分になってしまった。こんな気持ちになったのはあまりないし、生きていると褒めてもらえることもあるんだと感じてポジティブな気分になった。それではカレンダーの一部を写真でどうぞ。

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