幼児のごっこ遊び

 301回目のブログを書いてから18日もたってしまった。何故この間に更新しなかったかというと時間がなかったからだ。退職者で暇を持て余しているくせになんだと言われそうだが、本当に時間がなかったのだ。何故かというと10月末から娘が出産のために、2歳9か月の息子(わたしの孫)を連れて里帰りしていたからだ。娘は出産間近なので、いたずら盛りの孫を面倒を見るのがわたしの役目になっていた。もちろん食事を作ったりするのはわたしの妻だし、風呂に入れたりは娘がやるけれど、日中ちからの有り余っている孫を遊ばせるのはわたしの仕事なのだ。四六時中何かしようと動き回る幼児の相手をするのはとても疲れる。話して分かる相手ではないのが大変だが、ごろつきとは違い暴力を振るわないし、こっちの方が力がある点だけは救われるが、まあ疲れる。ブログを書いている暇などないのだ。

 11月21日に娘が第二子を出産すると6日間ほど入院したのだが、孫は母親を恋しがって夜など泣くし、妻と二人で相手をしなくてはならずその時が特に大変だった。それでもやはり孫は可愛いし、幼児と遊んでいるといろんな事が新鮮に感じる。自分の子供を育てた時はほとんど妻がやってくれたので、余計に孫の行動が興味深く感じられる。室内での遊びの多くはいわゆるごっこ遊びだ。機関車トーマスのおもちゃやミニカーを使ってロールプレーみたいなことをしたり、パン屋さんごっこをするのだが、これを見ているとというか参加しているととても面白い。幼児なりにこれは模擬的行為だというのは理解しているのだが、すごく真剣にやる。こっちが手抜きをしたり彼の意図に反する行動をとると真面目に怒り出す。一方でわたしが彼が予期せぬ行動をとりそれが彼の気に入ったものだと、ちょっと驚きながら満足げな顔をする。ごっこ遊びに何でこれほど真剣になれるのだろうか、もしかしたら現実とごっこの区別がつかないのではとも考えたが、やはり現実とは違うことは分かっているようなので、その真剣さには感心してしまう。どうなっているのか頭の中を覗いてみたい気さえした。

 大人が真剣になることと言えば、仕事や恋愛、趣味(スポーツや音楽など)、賭け事くらいだろう。幼児のごっこ遊びはそれに近いものなのだろうか。仕事をするときは真剣だが、それは生活のためでもありごっこ遊びとは違う気がする。もちろん恋愛とも違うだろう。そうすると趣味や賭け事に近いのかなとも考えるがよく分からない。ゴルフでナイスショットを打ったり、麻雀で上手く手造りをして上がった時など爽快感があるのは事実で、大人が真剣になって満足そうな表情を浮かべるのはそんな時だと思うのだが、これも一種のごっこ遊びなんだろうか。素人がやるスポーツや賭け事はプロから見れば確かにごっこ遊びなのかもしれない。昔一緒に働いた米国人が、エクソンの本社近くのテキサス州アービングのフォーシズンズ・リゾートに併設されたゴルフ場で行われているバイロン・ネルソン選手権を何度も観戦したそうだが、USPGAのプロのプレーを見て「安田さん、あれは我々のとは違うスポーツだよ」と言ってたのを思い出す。

 それでも生後一週間の彼の弟がおっぱいを飲んで、寝て、泣くといったげんこつ山のタヌキ状態なのと比べると、2歳10か月になった兄は体が大きなだけではなく、よくしゃべりごっこ遊びをする。ごっこ遊びが何を意味するのかわたしには分からないが、成長の証だというのは間違いない。きっともっと成長するために必要なプロセスなのだろう。

というわけでわけわからないブログで失礼しました。お口直しに庭から撮った公園の紅葉を見てください。