硬膜下血腫の手術(2)

 手術後ベッドに寝ていると看護婦が2時間おきくらいに体温と血圧を測りに来る。その時に基本的な質問をする。名前、年齢、生年月日、今いる場所などを訊ねるのだが、シンプルな手術とはいえ頭に穴を開けたのだから脳の損傷はないか確認しているらしい。翌日もう少し気分が良くなって寝ていると少し離れた部屋で看護婦が他の患者に年齢を訊いているのが聞こえてきた。この階は脳外科なので認知症の患者もいるのだが、その一人の方への質問だったらしく全然違う年齢を答えたようで、えー!そうじゃないでしょなどと看護婦が言っている。そうかわたしも今度訊かれたら36歳とでも答えるのもいいかなと考えたが、それでは脳に損傷があると判断され新たな治療に入るリスクがあると思いやめておいた。

 最初の夜は熱が37度4分くらいあり筋肉が熱を持つ感じがして気分が良くなかった。傷の痛みは薬で抑えていたがなかなか眠りに付けない。その最大の理由は同じ姿勢で寝ているので(頭を低くして真上を向いている)背中の筋肉が痛くなっていたことだ。午後5時半くらいに手術が終わり12時くらいまで6時間以上も同じ姿勢でいると本当に辛い。足を少し左右に動かしたり、背中の右、左と順番に上げてみるのだが、少し楽になっても寝返りを打ったり大きく動くことができないので根本的には治らない。血圧と熱を測り、点滴を変えたりするので看護婦が何度も来るので彼女に訴えると、宿直の看護婦は親切で我慢をしないように、そして頭を上げなければ横になってもいいと言ってくれる。もっとも管がささっているので横になるといっても片側だけだし、怖さもあって中々には動けない。

 真夜中にいよいよ痛くて呼び出しのボタンを押すと湿布薬を貼ってくれたがまったく効かず、その後痛み止めの薬をもらいやっと眠りに就いた。2-3時間寝てだいぶ楽になってボーっと半分寝ていると手術をした医師二人が様子を見に来る。どうですか?と訊かれたので明け方少し眠れてよかったと答える。後で管を抜いたら部屋の中をもっと自由に動けますからと言う。どういう理由かわからないが管を挿しているときは何か管にある蓋を閉じないと起きてはいけないそうで、横になっている時はこの蓋を開けるのだと手術後に看護婦から聞かされた。だからトイレも勝手には行けず、看護婦を呼び管の蓋か何かをとじてもらってから行き、戻っても勝手には横になれずまた看護婦を呼んで蓋を開けてもらうのだ。医師が言ったのは管を取るとこれがなくなり自由になるということのようだった。

 朝食が来たので看護婦を呼び管の処置をしてもらって起きた。昨日の朝食後何も食べていないので少しは食べようとしたが、痛くて口が開かない。これは頭のせいではなく側頭部の皮膚が引っ張られるためらしい。側頭部は筋肉が発達しているらしく、口を動かすたびにこの筋肉が動くそうだ。ここを5−6センチ切ったのでそこが痛くて口があかないのだ。思いもかけない痛みなので食べるのを諦め牛乳を飲んだ。牛乳を飲むなんて10年くらいなかったことだ。お腹が痛くならないように
ゆっくりとかみながら飲む。そしてまた看護婦を呼んで横になる。ウトウトしていると血圧、体温、点滴に来た看護婦に名前と年齢、今いる場所を訊かれる。また少しの間寝ているとM医師が来て大きな声で話しかける。この人はとても大きな声で話して元気いっぱいでこちらを安心させる。脳外科とは言え外科の一つだから、こうしたがっちりして体力のある人が良いのだろう。

 管を外しに来たのだ。管を外したあとでそこのところを縫合して穴を閉じる。いつもの大きな声で「安田さん!痛いよ!我慢して」とか「トイレで息むように息んで」などと叫ぶ。確かに痛く、痛さそのものでは今回の様々な処置の中でも一番だった。縫い終わると思わず横になり息を整える必要があるくらいだった。

 傷そのものがどうなっているのかは寝ていたのでわからず、管が取れてかなり自由になっても、傷のところにガーゼが貼ってあるので見えない。翌日退院する時に普通に生活しても良いと言われたので、二日後に恐る恐る頭を洗った後で傷を見た。特殊車両のタイヤのように凸凹に盛り上がり思わず妻に「フランケンシュタインになってしまった」と言った。そう言いながらも何か違うかなと思って調べると、果たしてフランケンシュタインとは科学者で、彼が死体を繋ぎ合わせて作った怪物が、縫った傷跡がある巨人であった。そう正確には「フランケンシュタインが作った怪物のようになってしまった」と言わなくてはならなかったのだ。

 その後抜糸をして凸凹は少し収まったが傷跡は鮮明だ。出かけるときは帽子が離せなくなるが、元々帽子好きでよくかぶるのでこれは気にならない。頭痛は改善しているがまだ残っている。徐々に良くなるのを期待するしかないようだ。1ヶ月は車の運転とゴルフはおあずけなので我慢するしかない。