内閣総理大臣になるために必要なもの

 相変わらず鳩山内閣の迷走ぶりは続いているが、その原因は鳩山首相にあることは言うまでもない。鳩山首相のお粗末さは、もう色々と議論されているのでここでは述べないが、もう少し一般化して小泉内閣以降の首相を比較して、彼らに何が足りなかったのか考えてみたい。

 小泉純一郎が退陣したあとの総理大臣は、安倍晋三福田康夫麻生太郎鳩山由紀夫の4人である。彼らの首相在職期間は安倍366日、福田365日、麻生358日、現職の鳩山は約240日である。小泉首相の1980日に比べるといかにも短い。もちろん鳩山首相はまだ伸びる可能性もあるが、近い内に退陣してしまう可能性もある。
 小泉を含め5人全員が所謂世襲議員で、特に小泉以外の4人全員が父または祖父が総理大臣であったという名門の出である。この4人の総理大臣の頼りなさを、世襲議員の問題点が現れたものと捉えるのは間違いではないと思うが、それだけで全ての説明がつくとも思えないので、もう少し別の角度から見てみよう。

 小泉純一郎が総理として適格であったかどうかは議論を呼ぶところだが、圧倒的に不利な状況で自民党総裁選に勝ち、自らの力で総理総裁の椅子をもぎとったことは間違いない。彼は党内基盤の弱さを一般党員からの支持で補った。言い換えれば世論の支持をバックに総理、総裁に就任し、5年にわたって政権を維持したのである。自民党の後の3人も一応党の総裁選に勝ってその地位を得たのだが、熾烈な総裁選を戦ったわけではなく、多くの議員に押されて順当に勝利したというのが実態である。また現在の鳩山首相は、自民党が自壊したために与党になった民主党の党首をたまたま務めていた(小沢一郎のバックアップで)だけであり、自ら権力闘争を勝ち抜いたわけではない。小泉以外は腹が据わっていないと感じさせるのはこうした権力闘争を経て首相の座を勝ちとっていないことが大きいと考えられる。

 特に安倍、福田の二人は連続して任期途中で政権を投げ出した。安倍は病気が理由になっているが、病気退任後すぐに亡くなった小渕恵三の病状と比較すると明らかに軽く、総理の椅子を投げ出す理由としては弱すぎると言える。福田はなぜ辞めたのかはっきりせず、本人が嫌になったからとしか説明しようがない。こうなるとこの2人を首相に選んだことが間違いだったとしか言えない。この二人は省を統括する大臣の経験がなく、共に官房長官を務めただけである。安倍は小泉総裁の下で自民党幹事長を経験している。もちろん官房長官は内閣の調整役で首相のスポークスマンだから、最も重要なポジションの一つであることは疑いなく、官房長官が上手く取り仕切らないと内閣が上手くいかないことは、今の鳩山政権を見ても明らかである。また自民党幹事長は実質的に自民党のナンバー2のポジションであり、選挙全般をとりしきる。与党である場合にはその権力は絶大であり、現在の民主党小沢幹事長に牛耳られていることを見てもその力はうかがい知れる。

 安倍、福田とも重要ポジションを務め、その在任中は重責を無難にのりきったことで総裁候補に名乗りを上げたわけである。福田が官房長官を務めたのは森内閣小泉内閣で、前者は全く国民の人気がなく後者は国民の圧倒的な支持を得ていた。こうした状況では官房長官の職務を無難にこなすことで森内閣の時は総理との比較で評判が上がり、小泉内閣の時は総理が自らの人気に頼って失言を繰り返す中で手堅さを印象づけることが出来た。安倍も小泉総裁、内閣の時に幹事長、官房長官を務めたため、職務を通して国民の支持を得やすい状況にあった。言い換えるとこの二人とも小泉人気に支えられて、重責を全うできたと言える。これが財務、経済産業、厚生労働、外務、国土交通等の大臣だとより多くの関系者との調整や計画の立案実施が求められるため、首相の人気に頼りきることもできず、自らの政治家としての能力を使ってやっていかなくてはならない。従ってこれらの大臣職で力を発揮することが、政治家としての力量を見せることになる。言い換えれば、これらのポジションを経験することは総理大臣になるためのトレーニングにもなったのである。困難にあたっても物事を投げ出さない人間か、ぎりぎりのプレッシャーの中でも精神的、肉体的に耐えられる強靭さを持っているか、テストが出来たのである。安倍、福田共にこうした経験を積まずにきたので、総理になるまでその職に耐えうる力を持っているかチェックできなかったと言えよう。

 一方麻生は経済企画庁長官、経済担当特命大臣、総務大臣外務大臣を経て、自民党幹事長も務めた。従って経験は十分だと言え、実際総理在任中の頑張りは安倍、福田より明らかに上で、過去の経験と訓練からいたずらに職務を投げ出すことはなかった。麻生の場合はその軽薄な発言と、漢字の読み間違いのような基本的な教養の不足から信頼を失っていった。ただし、安倍、福田と無責任な首相が続いたことも自民党世襲議員への反発となっており、これで一層麻生への批判が強くなったことは否めない。しかし安倍、福田と比べると、麻生の方が政治家としての、また総理としての基本的な条件であるプレッシャーに耐える力のようなものは持っていたと思う。

 鳩山は細川内閣の時の官房副長官の後は、野党であった民主党の幹事長、代表を務めたが、野党時代の発言は今彼が総理大臣となってから見ると、ほとんど無責任と言えるようなものだった。、その多くが今自らに、そして民主党に対して発せられてもおかしくないものであり、与党の党首となった彼は野党時代の自らの発言を無視することで前に進もうとしている。野党と与党とでの立場の違いが発言や姿勢を変えさせることがあるのは理解できても、その変更について国民に対して明確な説明がないことは鳩山の政治家としての信頼性を疑わせるものとなっている。同時に今繰り返される軽はずみな発言も、彼自身の性格からくるものであると同時に、責任ある地位についていなかったこと、すなわち総理になる前に受けておくべきトレーニングがなかったことに起因している。
 これは野党が初めて政権を担当する時に起こるコストだとも言えるが、鳩山の場合はそのコストが高すぎる点に問題がある。彼自身の無責任な発言で国内外で日本の政権の評判を落としている。

 こう考えると総理に就く前にいくつかの重要ポジションを経験させて、危機管理、プレッシャーに耐える力等をテストすることが必要だと考えられる。また党の代表になる過程でも、周りから押されてなるのではなく、強力なライバルと熾烈な戦いをして勝ち残ることが、強い精神力や戦略性を持つことにつながると言える。この点で安倍、福田、鳩山は十分な条件を備えていたとは言い難い。

 また麻生の問題点となった教養については、政治家として選ばれる過程でチェックされるべきものだが、与党、野党を見ても、これがチェックされている様子はない。安直にタレント候補に頼る風潮はこのことを示している。和田秀樹氏が総理になるような人は東大くらい出ているべきだと言っていたが、和田氏は毎年三千人もの入学者がある東大は今や特別なエリートではないという点から、国の最高権力者に必要な条件にしても良いのではないかと言っていたと思う。これは一理あるとは思うが、学歴の問題は中々微妙な話で、和田氏のような受験の神様が言うのは分かっても、一般的に受け入れられるのは難しいかもしれない。鳩山をはじめ多くの東大卒の議員がいるが、彼ら彼女らが政治家として必ずしも有能ではないことも考えなくてはならないだろう。

 しかし政治家が一つのプロフェッションであり、誰でもなれるものではないという認識を持つことが大事で、その認識が共有されれば、その条件のの一つとしての教養が重要視されるだろうと思う。日本には無意味なゼネラリスト信仰があり、プロフェッショナルがあまり重視されない傾向があるが、これは変えていかないとグローバルな競争には勝てない。プロフェッショナルとして優秀な人の中から全体を見て意思決定できる人がリーダーになるべきであり、政治家も全く同じだと思う。麻生は政治家としての基本的な条件に欠けるところがあったのに、選挙で選ばれ、そのリーダーにまでなってしまったことが問題だった。

 以上のような点を考えてゆくことは、万一鳩山が辞職した時に、次を誰にすべきかを議論する時の参考になると思う。また8月に予定される参議院選での投票行動にも役立つと考えている。