コロナ問題から見える政治家の本質

 東京都を中心にまたコロナ感染者の発見数が急増している。元々感染者がどれだけいるのか分からないと専門家も言っていたのだから、検査数が増えれば感染者数も増えるのは分からないではない。しかしこれだけ多くの感染者が確認され、その大半が無症状、無自覚だとすると、現状の行動状況が続けば飛躍的に感染者が増えるリスクは否定しがたい。これまでコロナ感染拡大を日本はうまく抑えてきたと胸を張っていた安倍総理や、国民の民度が高いなどと根拠のない発言をした麻生副総理は、この状況をどうとらえ何をしようと考えているのだろうか。

 

 コロナ問題に対する政治家の発言や対処をみていると、2つのタイプがあるように見える。1つはコロナの脅威を正面からとらえ、その被害を最小にするにはどうすべきかを考え行動してきた人たちだ。大阪の吉村知事や北海道の鈴木知事が支持されるのは、彼らが府民、道民の安全を図るために真摯に取り組んできた姿勢が評価されているのだと思う。

 

 それに対してコロナ対策に真剣に取り組む姿勢を見せているが、本質はこの問題を通して自分の政治的評価を上げようと考えている人たちだ。彼らにとって人々の安全や健康はキャッチフレーズに過ぎず、自分の人気を高めることが一番の関心事のようだ。小池東京知事は3月から4月はその発信力を使いコロナ問題に積極的に有効な手を打つ政治家を演出し成功してきたが、最近の感染者急増に対しては何ら有効な手を打たないどころか、現状改善に対して納得のいく説明すらしていない。今ほど事態が深刻ではない時に東京アラートを発動し、その後すぐにそれを取り下げたりした後に、再び急増した感染者問題には触れたくないという感じが明白だ。この問題に真剣に取り組んでも解決の糸口はつかめそうもないし、自分の政治的評価を高めることにはつながらないと興味を失っているようだ。

 今思えば小池氏は初めの頃からコロナへの熱心な姿勢を訴えて都知事選に圧勝しようと狙っていたような気がする。テレビでの広報宣伝に自ら頻繁に出演したりして都民へアピールしていた。国を挙げての活動自粛が上手くいき感染者の発見数が減少しているうちはコロナ対策にやる気満々だったが、最近の状況にはまるで熱意を失っている。都知事選が目前だからこの問題に触れないわけにはいかないので、訳わからない言葉を弄して切り抜けようとしている。都民の安全や健康を考えたら今こそ全力を尽くして対策を考えそれを訴えるべきなのにそんな気はないようだ。神奈川、千葉の知事については語るのも無駄だ。いなくても問題ない存在のようだ。まだ埼玉の知事は自分の言葉で何かを発信しようとしているだけ良い。

 地方政治家だけでなく国会議員も同じというかもっとひどいように感じる。総理、副総理だけでなく各大臣もここで露出が増えたのでやる気と力を見せようとしている。国民の安全より自分の人気上昇にコロナ問題を利用しようという姿勢が見え見えだ。

 

 もっともこうした状況は日本だけではなく世界でほぼで共通だ。米中露などの大国の指導者は特にひどい。彼らが本当に国民の安全や健康を願っているとはとても思えない。コロナの薬がない以上一定層は死んでもよいと考えている節がある。一定層とは貧しい人たちや特定の人種だ。コロナが本当にすごいのはこうした哲学なきリーダーたちが権力を握っている時に出現したことだ。被害が大きくなるのは明らかだから。都知事選は目前だし、米国大統領選も秋にある。どんな結果になるのだろうか。また日本での衆議院解散総選挙が秋にもあるという話が出始めた。そこにあるのは国民の安全、健康への心配ではなく、自分たちの政治的地位の確保だ。いかにもコロナを政治的利用をしようとする議員らしい発想だ。

 

コロナ自粛解除後の社会

 コロナによる自粛がおおむね解除され徐々にではあるが活動が戻り始めている。コロナウィルスに対するワクチンや治療薬が開発されていない状況では、第二波を気にしながらの活動なのでまだまだ回復の道は遠い。それでも道を歩み始めたことの意義は大きいだろう。

 

 活動再開の方法を見ると、元のやり方に戻る、新しいやり方を続ける、過渡的なやり方を選ぶといった3つの方法があるようだ。仕事でいえばほとんどの社員がオフィスに集まって業務を行う、基本的に全員がテレワークを続ける、 その中間的な形態(これはほとんどの社員がオフィスに戻って仕事をするまでの過渡的な方法)をとるという感じだ。企業は職種も規模も多様だから、この3つの形態がともに存在することになるが、プロスポーツ等は過渡的方法をとるしかない。野球もサッカーも開幕が決まったが当分は無観客試合だ。3密からは遠そうなゴルフでも無観客で始める。これらのスポーツは観客の声援が好プレーを呼ぶことがあるので、盛り上がりをには欠けるだろうが、実施できることが肝心なのでやむをえないところだ。観客の前で試合をできるまでの間を凌ぐ方法だ。

 

 コロナでテレワークやオンライン授業が現実になりそのメリットを多くの人が感じ始めた今こそ、わたしはいろんな分野でやり方を抜本的に考えてみるチャンスなのではないかと思う。前記の3つ方法のほかに、本来あるべきやり方を考えてそこに向かうことを模索する時だと感じている。単に元のやり方に戻るのがいいわけではないだろう。元のやり方はみんなが慣れているからとりあえず効率がいいのは事実だが、他にもっといいやり方、本来あるべき姿を実現するやり方があるのではないかと考えるべきだ。企業にとっては、テレワークを推進することで通勤がなくなり従業員の心身の健康やモチベーションが高まる効果があるかもしれないし、都心の一等地に高い家賃を払ってオフィスを構えることが本当に有効かどうか疑問が生じる。テレワークひとつとっても評価すべき事柄が多数あるのだから、今後の働き方を考える時に今までの常識を捨ててどうすれば総合的に最も良い選択になるか考えるチャンスだ。

 

 スポーツでもプロだけではなくアマチュアのスポーツの在り方を考えるチャンスになる。安倍総理は完全な形でのオリンピックをやると何度も口にしてきたが、コロナの完全な終息など難しいことが分かってくると簡素な大会へと方向を変えつつあるようだ。しかしオリンピックを中止しないために簡素な大会を選択するのではなく、本来オリンピックはどうあるべきかという議論をすべきだ時だと思う。商業主義に毒され選手の健康や意向を無視して酷暑の季節に実施をするのが良いのかどうかを含めて本来の姿を考えるべきだ。高校野球のありかたも考える良いタイミングだ。本来高校生の体に負担のあるやり方などは批判すべきはずなのに主催する新聞社はそれに目をつむり、このイベントに群がる大人たちと手をくんで金儲けをもくろむのはいい加減にすべきだ。本当に高校生のためになり今後も長く続けられる新しいやり方を作るべきだと思う。

 

 わたしのような退職者だって変化を模索する。好きなゴルフはもう2か月以上していないが、ゴルフ場からの知らせだとスループレーが主流になっているようだ。以前はハーフラウンドを終わり昼食をするのが普通だったが、これを18ホール続けてプレーすることに変える。もっとも海外ではこれが普通で間に昼飯を食べるほうが例外だったのだ。だからこれは歓迎すべき変化だ。しかし平日は客も少ないためかレストランを閉鎖しているケースが多い。これでは顧客志向とは言えないし、せめてハーフを終わった時にクラブハウスでサンドイッチやおにぎりを売るくらいはすべきだろう。暑い中で食事もしないでプレーを続けるのは健康にもよくない。海外では若い子がカートに乗ってサンドイッチや飲み物を売りに来てくれる。これでもいいと思う。せっかく新しいことを始めても顧客に対する配慮がなければ意味がない。もしかしたら一定の期間後には昔のやり方に戻そうとしているのかもしれないが、今こそゴルフはどうあるべきかを考えてベストな選択をしないと日本のゴルフの衰退は避けられない。

 わたしたちシニアの楽しみの一つは旅行だ。飛行機に乗っての遠出はまだリスクが高いが近場の温泉やリゾートに行くのは再開したい活動だ。これに関してわたしが以前から改善できないかと思っているのは和風旅館の食事だ。たいてい1泊2食での設定だが、年を取るとあまり食欲はないし、全員決まったメニューも芸がない。旅館のほうは効率を考えるのだろうが、ある程度の値段をとるならばもう少し柔軟性を持つべきだろうと思う。もしくは素泊まりで外に食べに行く選択もありにすべきだ。

 またリゾートホテルについては朝食がどうにかならないかと思う。ほとんどの場合バイキングでも2500円くらいはとるし、バイキングでも70歳が食べるのは少量だ。だから泊まってゴルフに行くときなどはたいていゴルフ場で朝食を食べることになる。量も多すぎないし1000円もしない。ホテルでもせめて1200円くらいで提供されるものがあればいいのだが。こうした変化は顧客に支持されるはずだし、長い目で見て旅館やホテルのためになるはずだと思うのだが、目の前の利益の減少に気を取られるせいか中々実現しない。今がチャンスなのが分かっていないのだろうか。

 

 

 

最近の株高にどう対処するか

 6月5日の日経平均終値は22,863円だった。この1週間で801円、2週間では2122円の上昇である。今年の最安値をつけた3月19日からは6311円の戻りとなった。3月から4月初めはコロナウィルスの影響で経済や社会がどうなるか分からず、みんな不安に駆られていた。それに比べると今は人々の気持ちは好転し、経済再生への意欲が高まっている。だから株価が3月より高くなるのは分かるが、2~3か月でこんなに戻すとは考えもしなかった。経済状況は低迷しているし、企業の利益も最悪に近いのにこの株価は何だ。感覚的には2万円くらいなら理解できるのだが、23000円に近づき今年最高値の24116円超えもあるなどと聞くと信じられない。経済状況とは無関係に株価が上がっている。これは日本だけではなく世界的傾向だ。

 

 企業の資金繰り支援や雇用確保のために政府が莫大な支出を行い、大幅な金融緩和をした結果余剰資金が生じ、それが株価を押し上げているというのが説明だ。それはそうなのだろうが実体経済からは乖離したまま、ちょっとした政治経済の動きに反応して株価が上下する状況が長く続くとは考えられない。しかし株式投資をする立場からは、マーケットが異常だと言っているだけでは能がないし、こうした状況でどうアクションをとるのかを試されているのだと思うのでわたしがどう対処しているかを書いてみたい。

 

 こうした訳が分からない時はじっとしてるのが正解だというのがわたしの基本的なスタンスだ。大混乱が収まれば株価はまた戻すだろうと思うからだ。しかしただ手をこまねているのも芸がないから、先安を感じれば保有株を処分したり、リバウンドしそうな時は買いに入る。そうはいっても手持ちの一部を動かすだけで、小さな利益を得てよしとしている。大損を取り戻すのは全体的な株価が戻る時だ。

 

 具体的に言うと3月後半から少し保有株の売り買いを始めた。安値だと判断すれば買い、戻ったかなと思えば処分する。現金のポジションが小さかったので、保有株数に比べ購入株数が少なく、入手コストが若干下がる程度で、売ったとしても依然大きなマイナスだ。何もしないよりいいという程度だ。4月は株価も18500円から19500円くらいを行き来していたのでこれをぽつぽつとやって小さな利益を得ていた。

 

 しかし5月に入ると株価が急上昇し始めた。多くの企業が1~3月が大赤字で、今期の利益予想も控える状況での急上昇には驚くだけだった。こんな状況が続くわけがないと考えるわたしは待ちの姿勢をとりつつ売り時を狙っている。(これとは関係がないが5月19日には倒産したレナウン株を21円で売却した)その後は待ちから売り中心のスタンスを強め、いつ大きな下げが来ても大丈夫な体制をとる。また現金のポジションを高めることで、次の大きな下げの時にすぐに買いに入れることも考慮した。2つの証券会社の口座の株と現金の比率は、5月26日で82対18だったが、6月5日には45対55で現金が半分以上になった。じっとしているのが基本のわたしとしてはちょっとしたチャレンジだ。

 

 6月5日の金曜日の朝、今日は下げだろうと思っていたが、結局170円ほどの上げになった。2つの株を処分し、少し意地になって今となっては数少ない保有株のうち2銘柄について信用売りをした。この株が来週上がれば保有株を売却し、下がれば信用売りに対する返済買いをする。土曜日での日経先物は290円高で少しがっかりだが、6か月のうちにはきっと下げる時がある。それが2万円かそれ以下かは分からないが、その時には買いに入ろう。未来の株価は神のみぞ知るだから運みたいなものだが、こんな時こそ自分を信じて決して怪しい評論家(有名な奴ほど怪しい)に頼ってはならない。

 

 

 

 

 

今後マンションの価値をどう考えるべきか

 わたしの書棚を片付けていたら「2020年マンション大崩壊」という新書本を見つけた。牧野知弘という不動産コンサルタントが2015年ころに出した本で、だいぶ前に読んだので本自体忘れていた。著者は当然ながら今のコロナ流行を知っていたわけはないので、当時の日本のマンション状況の問題点を専門家の視点から指摘したものだが、今のような状況になるとその指摘がより興味深く感じる。タイトルに深い意味はなさそうで、その頃2020年のオリンピック開催決定に沸いていた日本社会に対して、無邪気に都心のマンションやタワーマンションの資産価値の上昇や維持を信じて購入すると痛い目にあう可能性がある、それは2020年くらいから始まるかもしれないという警告からこのタイトルをつけたようだ。

 

 新書によくあるようにタイトルほど中身は過激ではなく、人口減が続く日本では住宅の空き家がどんどん増えること、特に空き室が増えたマンションは劣化が激しいこと、都市部のマンション価格は上昇しているがその理由の多くは建築費の高騰によることなどを具体的に示し、今新築マンションを買うことは正解なのかを論じている。特に人気のタワーマンションは維持費や修繕費が普通のマンションと比較して非常に高いことから、一定の年月を過ぎたころからこうした費用が増え始め、住人への大きな負担になると予測している。再度確認だがこれは2015年か少し前に書かれた本なので、現在のコロナ騒ぎとは無関係に日本のマンションの問題点を指摘した。言い換えればこうした問題はその当時からあったが真剣に議論されないまま今日に至り、コロナによる状況の変化が起こったのである。

 

 コロナウィルスがマンションに与える影響とは、テレワークやリモートオフィスが定着した場合、従来の職住接近のニーズが小さくなりマンションの立地そして価格に変化が生じるかもしれないという点だ。これはオフィスの需要にも影響を与える可能性があるので都市部の不動産全体にインパクトがある問題とも言える。テレワークが定着した企業では社員は原則としてオフィスには行かない。直接顔を合わせる意義があるとしても、幹部社員以外は2週間に一度くらい出社すれば十分だろう。となると職場から30分以内とか1時間以内とかの条件による住居探しはあまり意味がなくなる。リモートオフィスはそこに通うが郊外にあると想定すると自転車や車を使って短時間で行けるだろう。一般的に都会ではオフィスに近いほど住居コストがかかるが、それは通勤の短さが心身の健康につながるとか、家族がいる場合は一緒にいる時間が増えるとか、副業をしたり起業の準備、自己啓発の時間が余分に取れるということでコスト増が正当化されてきた。しかしテレワークやリモートオフィスになるとそうした論理は成り立たなくなる。

 

 都心のマンションやタワーマンションを購入する意思決定に影響を与えるもう一つの要因は資産価値の上昇、あるいは維持が期待できるという点だ。前掲書で著者は都内の一等地(麻布、青山、六本木、松濤)などは人気の高さから資産価値が下がることはないと言っている。それ以外についてはマンションの価値は建物価値しかないと考えたほうがよく、建物の価値は当然年とともに下がってゆくと考えるべきだと言っている。そうなると従来の職住接近の正当性はますます小さくなってくる。

 

 わたしは横浜市の最南に位置する金沢区に住んでいるが、ここは前掲書では従来東京のベッドタウンだったが人口の高齢化がすすみ生産年齢人口が減っている地区として紹介されている。わたしの二人の子供も結婚して川崎市に住んでいる。職住接近からである。しかしこんな金沢区でも大手のデベロッパーがマンションを建設していてこの1-2年でいくつかのプロジェクトが完成し売り出された。代表的なのは京急線金沢文庫駅から徒歩7-8分で複数の棟からなるものと金沢八景駅から2-3分くらいの一棟だ。価格は下は4000万円くらいだが80平米を超すと7000万円くらいになる。わたしは第三者だがどう見てもこれは高すぎないかと思う。確かに駅近で便利だが、価格は建築費の高騰の影響を受けた結果としか思えない。このエリアで7000万円ならきちっとした住宅地に(駅からは少し遠くなるが)広い家が建てられるからだ。一戸建てとの比較は今回のテーマではないので話を戻すと、このエリアでこの価格だから都心に近づくほどもっと高くなるということだ。

 

 80平米ほどの新築マンションで比較すると武蔵小杉だと2000万円、品川区だと3000万円くらいは、横浜市金沢区より高くなるようだ。よほどの大金持ちならともかくこれは相当に頑張ばらないと用意できる金額ではない。サラリーマンなら給与の高い企業に勤務している上に親から支援を受けたり、ローンを組んだり、共働きをしたりしないと無理な価格だ。これらの多くはタワーマンションでそうでないものも豪華さと便利さを売りにしている。要するに資産価値を売りにしているのだが前記のようにそれもあまり当てにならない。品川区の良い住宅地にあるマンションだと中古でもはるかに高い値段なので、このクラスの価格だと住居環境としてはもう一つだからだ。どう考えても無理をして買うものはないように感じる。

 

 前掲書で著者が勧めているのは中古のマンションを買うか、賃貸にすることだ。コロナなどない時に専門家はこう言っていたのだ。現在の状況ならもっとそうだし、自分や家族で長く住むことを考えるなら少し離れた郊外を見直すべきだと思う。長く住む気はなくいずれ地方に帰ると思っているなら、売りやすさを考えて都心でも郊外でも駅近を選ぶべきだろう。住居はライフステージに従って変わっていくものだと考えれば、今テレワークをしている人も将来マネジメントになって都心に住むほうが便利になるかもしれない。その場合は収入に見合った住居を探せばいいので、現時点では自らのライフスタイルと収入にふさわしい住居を選ぶべきだし、それが可能な時期だと思う。消費者の合理的な選択が日本のマンションの在り方を変える時代になっているのかもしれない。

 

 

東京五輪の実施か中止;決めるのはいつ

 安倍首相はニコニコ動画に出演した際に東京五輪のことを訊かれて、成功するために「治療薬、ワクチンの開発を日本が中心となってすすめる」と言ったそうだ。それに対して山中伸弥教授が「よほどの幸運がないと1年以内にワクチンが供給されるとは思えない」と返したと話題になったが、山中教授でなくても安倍首相の言葉はオリンピック・パラリンピックを実施できるかどうかの説明にはなっていないと思うはずだ。これは単なる意気込みと願望にすぎない。安倍首相は立場上弱気なことも言えないのかもしれないが、「ワクチンと画期的な治療薬の供給がないと難しいので、冷静に開発と供給の可能性を評価して決めたい」くらいは言うべきだった。国民や関係者に耳触りの良いことだけをいうのがリーダーではないはずだ。現在の状況を最高責任者としてどう考えているかをわかりやすく述べるのが求められていることだと思う。

 

 安倍首相のこんな発言を聞くとオリンピック開催か否かを、責任ある人たちが多くの国民が納得する形で決断できるのか不安になる。ワクチンか強力な治療薬が開発供給されない状況でオリンピックを行うのはリスクが高いことはほとんどの人が理解している。感染の第2波、第3波が来るなどと言われている状況で、世界中の人を受け入れてオリンピックをやるにはワクチンか有効な治療薬が必須だ。それなしで実施したらコロナの新たな大流行を招きかねない。となるとオリンピックの前にワクチンか治療薬の供給体制が整うかを判断することが重要になる。

 

 山中教授はオリンピックの前にそれが実現する可能性は小さいと発言したが、国として正式な評価を手にするには、日本だけでなく海外の専門家も入れて意見をまとめることが必要だろう。組織委員会などで何らかの検討はしているのだろうが、中止の可能性も考慮にいれた大掛かりな調査をやっているとは思えない。専門家による調査検討を今すぐ始めるべきだ。願望ではなく客観的な評価を得るためだ。そして正式な評価をもとに決定をするのだが、心配なのは安倍首相と側近の動きを見ていると専門家の評価が出ても意思決定をずるずると先延ばししそうなことだ。

 

 最悪のケースはオリンピック直前になって(来年の4月ごろ),ワクチンや決定的な治療薬がないという理由で中止の決定をすることだ。いろんな準備が進み最終段階での中止は、あらゆる面でダメージが大きい。特に経済的な負担は莫大だ。オリンピック、パラリンピックの準備にはすでに1兆3千億円かかったと言われているが(もっと大きいという説もあり、だれも分かっていないのかもしれない)、1年延長で3000億から6000億円程度余分にかかると言われている。もし中止になった場合、金銭的及び非金銭的ダメージは莫大だが、中止の決定を遅らせるほど事態は深刻になるはずだ。

 

 わたしはワクチンと治療薬が開発され十分な供給ができるかどうかの評価とその評価に基づいた意思決定をいくつかのタイミングで行うべきだと思っている。例えば次のようなタイミングだ。

1. 2020年7月(オリンピック1年前) 2. 2020年12月  3. 2021年4月

 

1番目のタイミングは今年の7月だからすぐだ。それまでにワクチンと治療薬開発・供給の可能性評価をするとなると専門家によるスタディはすぐに始めなくてはならない。このタイミングで開発・供給の可能性が大と評価されれば当然準備は進めることになる。可能性が小とか非常に難しいとの評価の場合は中止が合理的な決定だと思う。しかしこの時点での中止決定は激しい議論を呼ぶだろう。多くの利害関係者が絡むからだ。また専門家が可能性は小だと言っても、今後1年のうちに奇跡のようなことが起こって(山中教授の言葉を使えば非常な幸運に恵まれて)ワクチンや強力な治療薬が開発・供給される可能性はゼロではないからだ。そんな弱気だから薬の開発も出来ないといった類の精神論や、頑張ればできる可能性はまだかなりあるといった願望に基づく楽観論が巻き上がることも想定出来る。また既に莫大な費用を投じたものが無駄になるという議論も出そうだ。(これは埋没費用の議論だがそんなことは冷静に論じられない) 特に政治家は論理より精神論や感情論を重視するし、マスコミもこれを煽りそうだ。となるとここでは中止は決定されずに様子見の選択がなされる可能性は高い。先延ばしのコストは容認される。

 

2番目のタイミングは12月だ。ここまでに専門家によるワクチンと治療薬の開発供給の可能性評価がアップデートされる。オリンピックをやるやらないの決定のデッドラインが4月くらいだと考えると12月時点での専門家に意見は現実に沿ったものになるだろう。薬の開発・供給の可能性が高いという判断をする場合、具体的なワクチンと治療薬が特定され治験も始まっているくらいでないと可能性が高いとは言えないからだ。ここで高いと判断されれば準備を進めてオリンピック・パラリンピックが無事に行われる可能性は高い。これが最良のシナリオだろう。ここで有効なワクチンと薬の供給の可能性が小さいと専門家が評価したら、中止の決定をすべきだ。この時点でも中止の決定に対して様々な反論が起こるだろうが、ここで中止決定しないとなると科学より願望とか精神論に依拠していることになる。圧倒的な戦力の差を認識していても日米開戦に踏み切ったこと、中部太平洋および南太平洋の島々の基地が次々と米軍に奪われていき敗戦は明白になってもそれを認めなかったことなど、愚かでしかなかった日本の軍部首脳と同じ精神構造だ。相手はコロナウィルスで精神論で勝てる相手ではない。

 

上述のように12月の決定が最終決定になるのが正しいから4月の決定は本来ないはずか、あっても12月の決定の最終的な確認になるはずだ。そうでない場合は上記の最悪のケースになる。12月の時点でオリンピックまでにワクチン、治療薬の供給の可能性は小さいと評価されても、奇跡を信じてオリンピックの準備を進めるという選択をした場合、ここで中止の最終決定をすることになる。こんなことが起こってはいけないが、現在のリーダーたちを見ているとこれが起こる可能性がないとは言えない気がする。マスコミも冷静で論理的な決定を促すとは必ずしも思えない。もう一度言うが第二次大戦時の軍部の意思決定とマスコミの報道と同じになってしまう。

 

オリンピック・パランピックが予定通り行われて何も深刻な問題が起こらなければ最高だが、それを願うあまり状況の客観的な分析評価をせずに意思決定を遅らせ損害を拡大するのは避けなくてはならない。そして政府首脳になにより求めたいのはこうした決定のプロセスを国民に示すことだ。気が付いたら最悪のシナリオだったというのは御免だ。

安倍首相が取り得る起死回生の一手

 コロナの緊急事態宣言の5月末までの延長がされる。当然だと思うが、一方で5月末ではすまないだろうとか、その後どうなれば自粛緩和にすすめるのかなど疑問がうかび、先の見えないことによる不安は高まっている。国民は重苦しい気分に包まれているが、それに輪をかけるようなのが権力の中枢にいる政治家たちの対応だ。コロナ流入阻止の初期行動の失敗、その後の感染拡大防止対策の不徹底など危機に対する対応能力のなさを目のあたりにして、国民はこの人たちに国を任せて大丈夫なのかという不安も感じ始めている。

 

 そうした状況で安倍首相が慇懃無礼な態度で国民に自粛を訴えても効果は薄い。安倍氏がテレビに出て訴えるのに大半の人は飽きているのだ。安倍首相の賞味期限はコロナにより一気になくなってしまったようだ。安倍首相がこれまで高い支持率を維持できたのは経済が回復していたからだ。雇用状況は改善し、株価は上昇した。未曾有の金融緩和を唱える官僚やエコノミストの意見に乗ったことでいわば賭けに勝ったともいえる。経済の回復による支持で自信をつけた安倍首相は、様々なスキャンダルにみまわれたが強権でうやむやにしてきた。国民はそのやり方に疑問を抱いていたが、代わりになる政治家・政党に信頼が持てないという理由で黙認してきたのだ。しかしコロナにより経済は大きく悪化し、コロナ対策そのものも効果が乏しい。国民は結局安倍首相は平時のリーダーでしかなく、非常事態を乗り切るには知力も行動力も十分ではないと思い始めている。

 

 安倍首相はその長い在位期間のうちに経済を発展させ、オリンピックをやり、憲法改正を行った大宰相として歴史に名を残すことを狙っているそうだ。しかし今の状況ではそれは難しい。もし安倍首相が歴史にその名を残そうとすれば、だれも考えていない、しかも多くの国民は納得する手を打つしかない。それは直ちに退陣を表明し、後継首相に石破茂を指名することだ。理由は人心一新でいいし、石破氏指名は政治家としての十分な経験と高い識見を考慮したと言えばいい。政治的空白を避けるために直ちに政権を委譲すると説明するのだ。

 石破氏は新たに内閣を作り国難にあたる。総理が石破氏に代わってもできることは限られているし、政策は安倍政権と大差ないかもしれない。しかし国民の意識や気分は大きく変わる。政治に信頼を置き、団結して困難に立ち向かう気持ちが強まるはずだ。安倍首相は国のために潔く権力の座を降り、政敵の石破氏に譲った名宰相として歴史に残る可能性は高い。こんなことが起こるのは100万分の1もないだろうが、だからこそ起死回生の一手になりうると思う。

 

コロナ後の世界;テレビはなぜ岡村発言を報じないのか

 コロナの猛威はまだおさまらないが、コロナ終息後の世界がどうなるかは重要な問題だ。政治、経済、文化などで大きな変化があるような気がするからだ。その変化は人間の考えや行動に影響を与えるはずだ。もしくは人間の考えが変化することで社会の仕組みの変化を引き起こすのかもしれない。わたしにはそんなに根源的なことはわからないが、もう少し身近な問題なら普通に考えている。例えば経済の停滞が株価やマンション価格に与える影響だ。手をこまねいているより何らかの予測に基づいた行動をとることで損を回避したり、利益を得ることが出来るかもしれないからだ。

 

 タレントの岡村隆史もラジオの番組でコロナ後の予測をした。彼は経済の停滞が性サービス産業へ与える影響について語った。これはおかしなことではないし、切り口によってはジャーナリスティックな分析になる可能性もある。しかし岡村は生活に困窮する女性が性産業に行く流れが加速し、その過程でこの業界に美人が増えると予測し、それを今から楽しみにしようと言ったそうだ。これは明らかにまずい。株が下がるとか高級マンションの価格が下がるとかの議論は物を対象にしたゲームだ。岡村の発言は女性を株とかマンションのように金で買えるモノと見ているからだ。それはコロナ後ではなく、過去も今も女性をモノとして見てきたから発せられる言葉だ。この発言には金と力で何事も解決しようとする政治家と同じ匂いがする。

 

 岡村隆史は一流タレントで有名で金持ちだ。別に風俗の女性を相手にしなくてもモテるのにと思ってしまうのだが。女性に飽きっぽいのなら次から次へと相手を変えればいいので(例えば元zozotown前澤友作氏のように)、なぜ風俗にこだわるのかよく分からない。わたしたちには分からない本人の内面的な問題があるのかもしれない。岡村のことはよく分からないが、女性をモノとして扱うことでやっと性的な満足を得られるという人もいるだろうから。しかしラジオで上記の発言はアウトだ。

 

 とても不思議に感じるのはテレビのワイドショーが全くこれに触れないことだ。コロナ問題では毎日のように情緒的な議論を繰り返しているのに(それも得意げな顔をして)、この問題を取り上げないのは理解できない。アベノマスクよりこのほうがはるかに悪質だし、欧米だったら大問題になっているはずだ。テレビ局や司会をするタレントたちが岡村隆史に忖度しているとしか思えない。みんなで渡れば怖くないといった調子で政治家や不倫タレントは糾弾するのに、女性を人として見ないような岡村には甘々だ。こんな姿勢で報道することに恥ずかしさはないのだろうか。