東京五輪の実施か中止;決めるのはいつ

 安倍首相はニコニコ動画に出演した際に東京五輪のことを訊かれて、成功するために「治療薬、ワクチンの開発を日本が中心となってすすめる」と言ったそうだ。それに対して山中伸弥教授が「よほどの幸運がないと1年以内にワクチンが供給されるとは思えない」と返したと話題になったが、山中教授でなくても安倍首相の言葉はオリンピック・パラリンピックを実施できるかどうかの説明にはなっていないと思うはずだ。これは単なる意気込みと願望にすぎない。安倍首相は立場上弱気なことも言えないのかもしれないが、「ワクチンと画期的な治療薬の供給がないと難しいので、冷静に開発と供給の可能性を評価して決めたい」くらいは言うべきだった。国民や関係者に耳触りの良いことだけをいうのがリーダーではないはずだ。現在の状況を最高責任者としてどう考えているかをわかりやすく述べるのが求められていることだと思う。

 

 安倍首相のこんな発言を聞くとオリンピック開催か否かを、責任ある人たちが多くの国民が納得する形で決断できるのか不安になる。ワクチンか強力な治療薬が開発供給されない状況でオリンピックを行うのはリスクが高いことはほとんどの人が理解している。感染の第2波、第3波が来るなどと言われている状況で、世界中の人を受け入れてオリンピックをやるにはワクチンか有効な治療薬が必須だ。それなしで実施したらコロナの新たな大流行を招きかねない。となるとオリンピックの前にワクチンか治療薬の供給体制が整うかを判断することが重要になる。

 

 山中教授はオリンピックの前にそれが実現する可能性は小さいと発言したが、国として正式な評価を手にするには、日本だけでなく海外の専門家も入れて意見をまとめることが必要だろう。組織委員会などで何らかの検討はしているのだろうが、中止の可能性も考慮にいれた大掛かりな調査をやっているとは思えない。専門家による調査検討を今すぐ始めるべきだ。願望ではなく客観的な評価を得るためだ。そして正式な評価をもとに決定をするのだが、心配なのは安倍首相と側近の動きを見ていると専門家の評価が出ても意思決定をずるずると先延ばししそうなことだ。

 

 最悪のケースはオリンピック直前になって(来年の4月ごろ),ワクチンや決定的な治療薬がないという理由で中止の決定をすることだ。いろんな準備が進み最終段階での中止は、あらゆる面でダメージが大きい。特に経済的な負担は莫大だ。オリンピック、パラリンピックの準備にはすでに1兆3千億円かかったと言われているが(もっと大きいという説もあり、だれも分かっていないのかもしれない)、1年延長で3000億から6000億円程度余分にかかると言われている。もし中止になった場合、金銭的及び非金銭的ダメージは莫大だが、中止の決定を遅らせるほど事態は深刻になるはずだ。

 

 わたしはワクチンと治療薬が開発され十分な供給ができるかどうかの評価とその評価に基づいた意思決定をいくつかのタイミングで行うべきだと思っている。例えば次のようなタイミングだ。

1. 2020年7月(オリンピック1年前) 2. 2020年12月  3. 2021年4月

 

1番目のタイミングは今年の7月だからすぐだ。それまでにワクチンと治療薬開発・供給の可能性評価をするとなると専門家によるスタディはすぐに始めなくてはならない。このタイミングで開発・供給の可能性が大と評価されれば当然準備は進めることになる。可能性が小とか非常に難しいとの評価の場合は中止が合理的な決定だと思う。しかしこの時点での中止決定は激しい議論を呼ぶだろう。多くの利害関係者が絡むからだ。また専門家が可能性は小だと言っても、今後1年のうちに奇跡のようなことが起こって(山中教授の言葉を使えば非常な幸運に恵まれて)ワクチンや強力な治療薬が開発・供給される可能性はゼロではないからだ。そんな弱気だから薬の開発も出来ないといった類の精神論や、頑張ればできる可能性はまだかなりあるといった願望に基づく楽観論が巻き上がることも想定出来る。また既に莫大な費用を投じたものが無駄になるという議論も出そうだ。(これは埋没費用の議論だがそんなことは冷静に論じられない) 特に政治家は論理より精神論や感情論を重視するし、マスコミもこれを煽りそうだ。となるとここでは中止は決定されずに様子見の選択がなされる可能性は高い。先延ばしのコストは容認される。

 

2番目のタイミングは12月だ。ここまでに専門家によるワクチンと治療薬の開発供給の可能性評価がアップデートされる。オリンピックをやるやらないの決定のデッドラインが4月くらいだと考えると12月時点での専門家に意見は現実に沿ったものになるだろう。薬の開発・供給の可能性が高いという判断をする場合、具体的なワクチンと治療薬が特定され治験も始まっているくらいでないと可能性が高いとは言えないからだ。ここで高いと判断されれば準備を進めてオリンピック・パラリンピックが無事に行われる可能性は高い。これが最良のシナリオだろう。ここで有効なワクチンと薬の供給の可能性が小さいと専門家が評価したら、中止の決定をすべきだ。この時点でも中止の決定に対して様々な反論が起こるだろうが、ここで中止決定しないとなると科学より願望とか精神論に依拠していることになる。圧倒的な戦力の差を認識していても日米開戦に踏み切ったこと、中部太平洋および南太平洋の島々の基地が次々と米軍に奪われていき敗戦は明白になってもそれを認めなかったことなど、愚かでしかなかった日本の軍部首脳と同じ精神構造だ。相手はコロナウィルスで精神論で勝てる相手ではない。

 

上述のように12月の決定が最終決定になるのが正しいから4月の決定は本来ないはずか、あっても12月の決定の最終的な確認になるはずだ。そうでない場合は上記の最悪のケースになる。12月の時点でオリンピックまでにワクチン、治療薬の供給の可能性は小さいと評価されても、奇跡を信じてオリンピックの準備を進めるという選択をした場合、ここで中止の最終決定をすることになる。こんなことが起こってはいけないが、現在のリーダーたちを見ているとこれが起こる可能性がないとは言えない気がする。マスコミも冷静で論理的な決定を促すとは必ずしも思えない。もう一度言うが第二次大戦時の軍部の意思決定とマスコミの報道と同じになってしまう。

 

オリンピック・パランピックが予定通り行われて何も深刻な問題が起こらなければ最高だが、それを願うあまり状況の客観的な分析評価をせずに意思決定を遅らせ損害を拡大するのは避けなくてはならない。そして政府首脳になにより求めたいのはこうした決定のプロセスを国民に示すことだ。気が付いたら最悪のシナリオだったというのは御免だ。