コミュニケーション手段としての体罰;その後

 1月13日の当ブログで桜宮高校のバスケットボール部監督の体罰問題を論じ、体罰を行うまたは擁護する人達はそれをコミュニケーション手段の一つと考えているのではないかと書いた。その後女子柔道の日本代表監督の園田隆二氏が体罰を行っていたとして選手たちから告発され、結局辞任することになった。告発そのものは昨年12月になされていたので、桜宮高校の問題に影響されたわけではない。余談だが、桜宮高校問題で強硬な立場をとっている橋下大阪市長に、昨年女子柔道の代表選手たちが告発をした時点で意見を聴けば良かったのにと思う。今と全く違うことを言っただろうという気がする。


 女子柔道の問題で園田前監督が記者会見を行ったが、それは園田氏が体罰をコミュニケーションの一手段と考えていることを示すものであった。氏は次のように発言している。
’私自身は暴力という観点で選手に手をあげたという認識は全くなかった。選手に対して、あとひと踏ん張りして欲しい、ここで頑張って欲しい、一つ壁を乗り越えてもらいたいという精神的な部分で手を出してしまった’

’力があるけど、練習の中で越えられない壁を自分自身で作っている選手がいた。そこを何とかしたいという部分で、会話でコミュニケーションを取ろうとしたが、時間が経過するにつれて、自分自身も焦ってしまった’

 彼は選手をもっと強くしようと願い指導する中で、言葉だけでは伝えられない気持ちを叩く、蹴るという行為で伝えようとしたのだ。確かに言葉ではもどかしい場合があることは理解できる。小さな子供がいたずらを繰り返した時に、母親が思わず叩くというのもあるだろう。しかし相手が大人で、しかも一流の選手の時に、言葉で伝わらないところを叩いて伝えるというのは明らかに間違いだ。上手くコミュニケーションが取れなかったら、それは監督の責任でもあり、また選手の責任でもある。

 監督は言葉で伝える努力を最大限し、選手が理解していないと感じたらそこで代表から外すべきなのだ。この壁を乗り越えたらこの選手は間違いなくもっと強くなり、他の選手とは大きな力の差をつけられるはずだと思っても、言葉でそれが伝わらないなら、その選手は代表になるための重要な要件を備えていないと判断すべきだ。一流の選手は肉体的な能力はもちろん、頭脳的、精神的な能力も高いものを持ち合わせていなくてはならない。日本のスポーツでは肉体的なものに余りに重点が置かれ、他の要素は簡単についてくると言った考え方が強いがそれは間違いだということに気づくべきだろう。


 これ以外に記者会見から明らかになったのは、園田前監督と選手の間の信頼感の欠如だった。園田氏は熱血漢のようだが、選手からはうざったいと思われていたように感じる。園田氏自身もコミュニケーションがとれていると思っていたが、それは一方的な思いだったようだと認めている。一度歯車が狂うとどんなに良いことを言ってもそのまま伝わらないし、それを感じて繰り返して言うと選手からはしつこいと思われる。そんな時に叩いたり、蹴ったりしたら間違いなく関係は最悪のものになるだろう。

 コミュニケーションが上手く取れていて、信頼関係が築かれていれば、同じ体罰をしても告発といった問題にはならなかったように思えるのだ。これは大変重要なポイントで、基本的な選手との付き合い方、すなわちコミュニケーションの方法、監督としての権限の使用法等をきちっと学び身につける必要があると思う。選手のためを思って熱心に指導すれば分かってもらえる、監督の思いは伝わると考えていたら間違いだ。それなら苦労はしない。

 これはマネジメントの問題なのだ。選手に目標を与え、それを達成するために必要なこと、技術、精神力、態度などで改善すべき点を明確にし、それを直すための練習方法を選手、監督、コーチ共同で作り上げ、実行してゆくというプロセスを取ることが大切なのだ。

 そして選手は監督の言うことをきちっと理解すること、それが出来なければ代表などには選ばれないことを理解しなくてはならない。監督はそういう権限を持っているのを分からなくてはならない。 一方で監督は選手と言葉によるコミュニケーションをとり、必要なことを理解させることを求められる。園田氏にはこうした点が欠けているように感じられた。もっともこれは園田氏の問題ではなく、日本の柔道界にそうした視点が欠けているように感じられる。柔道連盟幹部の記者会見からも、なんで園田氏が告発されなくてはいけないのかわからんという態度が感じられた。

 叩いたり、蹴ったりを少し抑えれば大丈夫だろうという感覚のようだった。今のやり方はもう古い、若い人は付いてこないという点を全く理解していないようだ。相変わらず、昔のような根性論、精神論が巾を利かせているとしか感じられなかった。練習方法や欠点の改善方法を上から一方的に押しつけるのではなく、選手と共に作ってゆけば、多少きびしい練習も選手は理解し前向きに取り組むだろう。

 監督を替えようとも、体罰を控えようとも、こうした指導方法、マネジメントのやり方を変えない限り、選手と指導者たちの信頼関係は築かれないし、日本柔道が強くなることはないと思う。