八ッ場ダムの経済計算

民主党政府が八ッ場ダムの建設中止を表明して以来、これに関する報道が一気に増えたが、そのほとんどがあまりに情緒的であるという印象を受ける。ダム周辺の人々が受けてきた苦労を考えるとその人達への同情は禁じえないが、そこだけに焦点を当てて、冷静な経済計算に基づいかずに中止の是非を論じる報道の仕方には疑問を感じる。

とくに八ッ場ダムの総事業費4600億円のうち、70%(3200億円)が既に使われている点が強調されて、今中止したらこれが無駄になるという議論が主流になっている。

しかしこの点はプロジェクトの経済計算の基本的な問題で、わたしがビジネススクールに学んだ30年前でも最初の段階で教わる'埋没費用(Sunk Cost)をどう扱うか’というものである。埋没費用とは既に使われてプロジェクトを中止しても戻ってこないコストのことで、この埋没費用が大きいほど人はそれを無駄にしたくないという感情から思考停止に陥りやすく、多くの人は'今さら引き返せない。進むしかない’と考えてしまう。

問題は今までいくらかかったからではなく、これからいくらかかり、その便益は何でどの位の経済的な効果があるかについて、この事業を続けた場合と中止した場合それぞれについて、評価・計算することである。
もちろんこれは中々困難な作業で、続けた場合のコストですら現在の予算でおさまるかどうかわからないし、便益の経済的メリットに至っては前提の立て方でどうにでもなるところがある。しかし公正な専門家を集めて政治的な意図からは離れた、客観的なアセスメントをして、それを政治家、官僚に突きつけることぐらいはマスコミの基本的な仕事だろうと思う。

現在までの議論のほとんどはダムの周辺を選挙区に持つ自民党議員、建設業界と関係の深い政治家、事業を進めたい官僚によってなされきたが、そこで説明されたコストとベネフィットは本当に妥当性があるか、今こそ見直されるべきだろう。
総事業費は4600億円で変わらずにして、ほとんど起こりそうにない災害の防止効果を経済的メリットに入れるなど現実性に疑問を持たざるをえない点があるのに、新聞、TVの報道は突っ込みが浅いとしか言えない。

総事業費の70%を使ったという話も、2009年の第171回国会での麻生総理の答弁で以下のような内訳が説明されている。(2008年末の状態)

国道 145号;完成 6%、着手 69%
県道 375号;完成 0%、着手 68%
   376号;完成 0%、着手 76%
   377号;完成 18%、着手 3%

鉄道 吾妻線  完成 75%、着手 12%   
   新川原温泉駅は用地買収継続中

代替地(分譲開始割合)
   川原畑、川原湯地区 共に10%
   横壁地区        20%
   林地区         7%
   長野原地区       9% 
 

これを見る限り総事業費の70%を使ったという説明と一致するのは鉄道の工事だけである。道路、代替地については70%との説明とはかけ離れた進捗状況である。ダム本体の工事はまだ始まっていないこと(620億円の費用見通し)と、上記の状況から予測できるのは、このプロジェクトを進めたら総事業費は4600億円を大きく超える可能性が大だということだろう。しかしそうしたリスクが当時の自民党政府や幹部官僚から説明されたことはない。

国土交通省 八ッ場ダム工事事務所長が昨年9月に、'八ッ場あしたの会’から事業費が再度増額される可能性について質問され、文書で回答しているが予定している事業費の範囲内で完成するよう努力をするとだけ言っている。ここで再度の増額と質問しているのは、2004年に事業費を2100億円から4600億円に増額した経緯をふまえてのことである)

厳しい国家財政の下で限られた予算を、効率的・効果的に使わなくてはならないのは国民の総意である。これまでの政治家の議論や官僚の説明はこうした要求にこたえているとは言えない。まともな予測をすれば、政党間でそれほど大きな違いがあるとは思えない。双方公正な評価をした後で大きな食い違いがあるなら、その点を明らかにして国民に問うべきであろう。

少し前に'かんぽの宿’売却問題で当時総務大臣だった弟の鳩山邦夫氏が辞任した。鳩山元大臣は郵政公社所有の保養施設等の売却価格、売却プロセスが不明朗であると問題を提起したが、本当に議論すべきだったのは'なぜ国民の金で作った保養所を安い価格で処分しなくてはならない状況になったのか’であった。その点をきちっと議論し、今後の反省に生かそうとすれば八ッ場ダムの議論ももう少し建設的になされているのではないかと思う。

これまで国がかかわったプロジェクトの顛末を見ると、過去に学ぶことがあまりに少なく、それどころか過去の失敗を隠し、忘れさせることに力を注いできたとしか思えない。それが政治家と官僚の体質なのだろう。次回は過去の失敗を忘れずに、それをこれからのプロジェクトの評価に生かす意味で旧厚生省が建設した保養施設の問題を議論したい。