横浜の桜(1)

 横浜の桜なんて題は全くわたしらしくない。花や植物にはまるで興味がなくこの方面の偏差値は30あるかないかだからだ。なのに桜を取り上げようと思ったのは、先週末に東京の桜が満開とのニュースを見たが、同じ時期に庭から見た公園の桜はまったくといって良いくらい色づいていなかったからだ。横浜の桜はどうなっているのかと思い、どうせならいろんな場所の桜を見て写真に撮ろうと考えたのだ。

 一昨日4月4日(火)に家の隣の野島公園伊藤博文別邸横の牡丹園、八景島を見てから、午後に黄金町から日の出町の間の大岡川掃部山公園三渓園と回った。八景島大岡川掃部山公園三渓園は横浜の桜の名所として有名なところでインターネットでも紹介されている。特に大岡川は両岸の桜が2−3キロに渡り途切れなく続き、一部は川を覗くようにせり出しとても美しい。他の三つの桜は実際に見たことがないので楽しみしていた。

 しかしせっかく行ってみたのに東京の満開から3日を過ぎても横浜の桜はまだ満開ではなかった。特に一番人気の大岡川などは半分も咲いておらず、ほんとにがっかりした。東京と大して離れていないのに何が違うんだろう。諦めきれず翌日(4月5日)の午前中に家の周りをもう一度見て回ってみた。牡丹園を見てから野島山に上がった。50メートルほどの高さだが、ここの頂上の桜は見事に咲いていてとても嬉しくなった。昨日行った桜の名所に劣らないというか、凌ぐほどだった。地方都市のクラブで銀座や六本木のホステスより綺麗な女性を見つけたような感じだ。(ちょっと違う気もする)
 
 4月4日の写真から。
伊藤博文別邸横の牡丹園と野島公園の桜。まだ寂しいレベルだ。

 八景島にも行ってみた。車で5分くらいなのに10年以上来ていない。大きなトンネルのような歩道橋を渡って行く。三角の建物は水族館。ここも桜はまだまだだ。


写真撮影したそばにはペリーの艦隊がこの近くに碇泊したことを示したプレートがあった。

 期待していた大岡川。まるで駄目だったが今日(4月6日)時点でも5分咲きぐらいらしい。

 日の出町から野毛の坂を超えて掃部山公園まで歩く。これは'かもんやま'と読む。横浜市西区の高台に位置し、市の中心からは至近である。元は明治に日本初の鉄道敷設に携わった外国人技師の宿舎があったそうだが、1884年に井伊家の所有となった。1914年に横浜市に寄付され公園として整備された。桜も数多いがまだ満開とは言えず、完全に開花したらさぞ綺麗だろうと思わせた。


花見の宴会をしている人も多い。直弼の銅像が写ったものと高層ビルが背景のもの。


街が近いことがよく分かる。


飯岡幸吉氏の歌が刻まれた碑がある。この人はアララギ派で茂吉の弟子だが、横浜正金(旧東京銀行の前身)に勤めていた銀行員だったとのこと。
歌は「まちなかに 緑をたもつ 掃部山 ましてや虫を 聴く夜 たのしき」とある。上手いですね。

園内には日本庭園もある。


ここから関内まで歩いて根岸線に乗り、根岸で降りてバスで本牧へ。一人でバスに乗ったのも本当に久しぶりだ。三渓園は横浜の実業家原富太郎(号は三渓)が1906年に作った。大変立派な庭園で多くの文化財建造物が配置されている。大半は京都などから移築したものだが、広大な庭園と調和して見事な景観を作り出している。ここは有料で500円必要だ。桜もだいぶ開花して庭や建物を引き立てていた。


原富太郎の住居であった鶴翔閣。

もう夕方の5時を過ぎていたので花や葉が夕日に染まっている。


その他どこを撮っても絵になる。






本格的なカメラ愛好者が沢山待機。どうやらライトアップされるのを待っているらしい。

4月4日の写真はここまで。5日の分は次回に。