伊藤博文別邸について

 伊藤博文は日本国の憲法作成のためにヨーロッパに派遣され、帰国後に明治憲法(大日本帝国憲法)を作るのだが、その作業を横須賀市の夏島で行った。しかし夏島は交通が不便なため草案作成の多くは横浜市金沢区の割烹旅館「東屋(あずまや)」で行われた。

 この東屋は江戸時代から続く老舗の旅館だったがわたしが物心つく前に廃業して、その跡地で遊んだ記憶がある。その後土地は売られ、そこには今は保険会社や医院、商店、多くの住宅が建てられている。なぜ詳しいかというとわたしの祖母がここの娘でわたしの家に嫁いだからだ。だから祖母は伊藤博文に遊んでもらったのか伊藤公をよく知っており、わたしが小さい頃に色々と話を聞かされた。当時はよく分からずに聞いていたので内容は覚えていないが、今思えば後にもっと聞いておけばよかったと思う。(祖母は90すぎまで生きてわたしが30歳ころになくなったからだ)
 次の写真は東屋の跡地から少し離れたところにある碑である。


 この碑の字は伊藤博文と共に憲法の草案を作った伊東巳代治が書いたものだ。

 野島公園にある伊藤の別邸は憲法発布後に建てられたもので、東屋に泊まっていた伊藤博文が横浜の金沢を気に入り建てたとされる。建築後には韓国皇太子が止まったり、伊藤博文没後には皇族も度々訪れた記録がある。この辺りは昔は別荘地で、亡くなったわたしの父から聞いたのだが、わたしが今住んでいる所も、某有名政治家の別荘に貸していたそうだ。
 再現された伊藤博文別邸の入口、玄関、伊藤夫妻の写真。


 台所の写真と説明には伊藤博文がこの別荘でも食事は東屋から取り寄せていたと書かれている。


 トイレ、風呂の様子。


 客間には食器がセットされており、伊藤博文の書もある。

 家からは庭の先に海が見え、素晴らしい眺望だ。


 庭から見た建物はこんな感じだ。

 この別邸に隣接して牡丹園がありここも手入れが行き届いた庭だ。


 違う方角から見た塀。

 また邸内には歌川広重が描いた金沢八景(もちろん複製)も飾られている。

 金沢八景のうちここ野島公園に関連するのは’乙舳帰帆’と’野島夕照’である。今は江戸の景色とは大きく異なっているが、それでも面影はあり是非確かめてください。