相変わらずの朝日新聞

 今回もまた朝日新聞の記事について書く。12月19日付けのSTAP細胞に関する記事の見出しについてだ。12月19日には理研の調査チームがSTAP細胞の存在が確認できなかったこと、小保方氏もSTAPを作れなかったこと、そしてこれ以上の実験をしないことが明らかになった、その時点での記事である。その後12月26日には調査委員会が正式にSTAP細胞の存在を否定し、小保方氏等がSTAP細胞と主張していたのはES細胞であると断定した。これで一連の騒動のようやくの決着を見たというところだが、今回取り上げる記事の段階ではこうした最終の展開はまだ起こっていなかったが、ほぼ結論は出たというところだった。

 しかしこうした結果はまともに考えれば当然だったのだ。小保方氏等の論文は杜撰で誤りだらけで、実験データも改ざんされていたことははっきりしていた。だから小保方氏等が同意しなくても、最終的に論文が撤回されたのだ。4月に行われた会見での小保方氏の反論も全く科学的な証拠に基づくものではなく、単なる思い込みの披瀝にすぎなかった。(4月16日の当ブログでも小保方氏の姿勢は科学者のそれではないと指摘した) 日本生物学学会は研究不正の実態が明らかになるまでは再現実験を凍結すべきだとの声明を発表し、多くの良識ある学者たちも、理研の調査チームが8月にSTAP細胞が作れなかったと発表した時に、実験の中止を求めた。それでも理研の調査チームと小保方氏は別々に実験を続け今日に至ったのだ。

 なぜ多くの人達が反対してまでも実験が行われたかというと、論文は誤りだらけで小保方氏の説明も科学的ではないが、ノーベル賞候補と言われた笹井氏が支持していたことや、小保方氏が論文の杜撰さを認めながらもSTAP細胞の存在を強く主張したためにやらないと決着がつかないという空気があったからである。またマスコミも小保方氏があれだけ言うのだから少しは信用して見ようという全く非科学的理由からこれを支持していた。要するに茶番であり、王様は裸だと言えないように、小保方氏はペテン師だというのをマスコミが避けていたのである。

 さて朝日の記事に戻ろう。12月19日の記事の見出しは「なぜ期限残し中止・細胞の正体は」である。この見出しから読者は何を感じるだろうか。普通ならこの時点で理研が検証実験を中止したことに対する疑問なり、反論であろう。今に時点で止めるよりもっと続けるべきだ、なぜなら続ければ今の結論とは違う結論が出る可能性があるからで、それはこうした理由からだ、といった議論が提示されると思うのが普通だろう。

 しかし記事の中身はSTAP細胞論文に疑問が起きてから今日までの経緯であり、朝日新聞なり記者が実験を続けるべきだと主張することをサポートする中身はまるでない。強いて言えば、STAP細胞の存在を捨てきれなかった理研そのものが、期限を前倒しにして実験を中止するのはなぜだというところだ。しかし調査チームがSTAP細胞の存在を確認できず、小保方氏自身も作成できないとあっては、もともとの結論、論文は誤りでSTAP細胞など出来なかったを再確認したのだから、これで実験は中止だというのが普通の感覚だ。事実朝日の記事を読めばそう思うはずだ。見出しは「やはりSTAP細胞は存在せず。実験は中止に」ぐらいがちょうどいいと思うのだが。なぜ朝日新聞はこうした見出しをつけてしまうのだろうか。わたしは記事の中身と見出しのギャップに驚き、またこうした見出しをつけて平然としている朝日の体質に呆れ、この日の朝日新聞を保管していたのだ。

 朝日新聞の見出しへの疑問は9月25日の当ブログで既に取り上げた。それは今年の米国プロゴルフツアーの最終戦、選ばれた30人だけが出場できる試合の1日目が終了した時点の記事の見出しである。「松山、出遅れ」との見出しだが、松山の1日目は20位でトップとそれほど離れてはいなかった。松山はランキング29位で最終戦に参加したのだから、まずまずのスタートと言って良いはずだ。なぜ実態に合わないこんな見出しを付けるのかと疑問を呈し、わたしなら簡単に「松山、20位スタート」とすると書いた。その後ゴルフの記事を見ていると「xxx、oo位スタート」といった見出しがあったので、まさか大朝日がわたしのブログを読むはずはないと思いつつ、朝日もなマズイと思う点は直そうとしているのかなと評価していたのだが、またSTAPでこの見出しである。確かに見出しで目を引くというのは読んでもらうために必要である。しかし記事の中身が見出しをサポートしないのでは却って信頼性を失ってしまう。

 朝日新聞慰安婦報道や原発報道で誤った記事を書き、それが虚偽だと証明されても中々過ちを認めようとせず、謝罪すべきところでもそれを避けてきた。こうした問題に対し検証委員会が調査し、12月にその結果を公表した。わたしもこれを読んだが、的を得た指摘であり、朝日の奢った体質を言い当てていた。朝日はこれを受けて体質の改善をはかると書いていたが中々難しいのではないかと思わざるを得ない。上述した見出しの問題も、自分の思い込みが優先し、見出しが事実とあっているかの検証がなされていないようだからだ。そもそも事実を客観的に見て分析するという姿勢がなく、事実は自分の結論を補強する情報として利用するとしか考えていないようだ。慰安婦原発のような大きな問題はもちろん重要だが、企業の体質はもっと些細なところに鮮明に現れる。STAP細胞の記事、松山選手の記事の見出しなどを見ているとこの新聞社の体質には救いがたい問題があると感じざるを得ない。どんな問題でも、事実を見つめるところから問題の本質を見極め、そこから記事のストーリーを作り、適切な見出しをつける、こんな当たり前のことをし続けることでしか、朝日新聞は再生できないと自覚している社員はどれだけいるのだろうか?