帝王’ジャック ニクラウス’

 アマゾンでジャック・ニクラウスのゴルフレッスン書を買った。タイトルは' Jack Nicklaus My Golden Lessons'と言う。Goldenは貴重なとか素晴らしいという意味だが、同時にGolden Bearという彼のニックネームにちなんでいるのだろう。余談になるがGolden Bearというニクラウスのウェアも日本のゴルフ場で着ている人はほとんど見かけない。売っているのもスーパーなどでどちらかといえば廉価品の扱いである。当然日本のプロゴルファーも着ていないのだが、韓国の女性プロゴルファーで世界ランク2位の申ジエがきているのには少し驚いた。韓国ではGolden Bearはまだブランド力を持っているのだろうか。ゴルフ史上最強と言われるゴルファーのウェアにしては淋しいところだが、日本などでは有名人にちなんだブランドというコンセプトがもはや受け入れられないのだろう。
 
 レッスン書について言えば、170ページほどで各ページはニクラウスのスイング(アドレスやパッティングもあるが)のイラストに彼の解説が付いている。その内容は全般的に大変ベーシックなものだ。日本のゴルフ雑誌の方が色々なtipsが載せてあるくらいで一見参考になる感じがする。もっともこれらの雑誌はえてして、同じ号の中で正反対のアドバイスを与えたりするから(たとえば手は使うなという記事があるかと思えば、別のところでは手をもっと振れと言ったりする)読者はその意味を理解していないと混乱してしまう。それに比べるとニクラウスの本はグリップ、アドレス、スィングの始動、打ちたいボールをイメージすること等々あくまでも基本を守り実行することが強調されているのでそんな心配はない。その多くの点は彼が10歳でコーチにゴルフを習い始めて以来今日まで変わらないものだと言っている。いたずらに色んなレッスン書の内容を取り入れるより、基本的なことをきちっと身につけろということなのだろう。
 
 例えば'ボールを打つ前の基本'という章には'Check and Recheck Your Alignment'という項目がある。ゴルフをされない方には分かりにくいかもしれないが、'目標に正しく向いているかどうかを繰り返し確かめる’といった意味である。彼の経験として紹介されているのは、彼がシニアツアーのメジャー大会である'The Tradition' に参加した時のことだ(たぶん1990年代半ばと思われる)。全く上手くプレーできなかったニクラウスは、その時のコーチであったジム・フリックにスィングを見てもらった。ニクラウスが練習場で2-3分ボールを打つのを見ていたジムは、ニクラウスのところに来て彼の足の跡に自分の足を置き、彼に後ろから見てみろと言った。そしてこうした方向に構えたゴルファーのボールはどこに行くか尋ねた。ニクラウスは目標より30ヤード右だと答えた。最高の技術と経験と才能を持つゴルファーでさえこうした過ちを犯してしまうこと、そしてここまでの実績を持っていてもコーチに尋ねて基本に戻ろうとする姿勢に驚かされるエピソードである。ゴルフの奥深さ、超一流のプレーヤーが最高のパフォーマンスを求める努力の凄さを示しているともいえる。

 ニクラウスのことを書いているとゴルフジャーナリストの三田村 昌鳳氏のエッセイを思いだし古い雑誌を捜し出した。そこにはこんなエピソードが紹介されていた。
 僕は、ニクラウスが優勝するたびに、ある光景を思い出す。それは1975年マスターズだった。優勝して、クラブハウスの二階でチャンピオンを祝福するパーティが開かれた。僕は、偶然目撃したのだが、バーバラ夫人だけが、その人の輪を離れてポツンと窓際に座っていた。目には涙が溢れていた。
 パーティに入らないんですか、と聞くと 「いいんです。私は、あの人の優勝を素直に喜べないんです。だってあの人がこの試合に勝つために、どれだけのことを犠牲にして、努力して、節制しているか、全部見ているんですもの。そんなにしてまで、この試合に勝ちたいという気持ちを考えると、とても喜べない。残酷です。」

 史上最強と言われるニクラウスを超える可能性のあるのは、ただ一人タイガーウッズである。例のスキャンダル以来スウィング改造のこともあり、中々勝てないウッズだが、新しいスウィングをものにしてきっと復活するはずだ。しかし彼もニクラウス夫人が言ったような血のにじむ努力をしないといけないだろう。もちろんここまで来る間に、彼はそうした努力をしてきたはずだが、若い時の肉体が維持できなくなった年令に達した今、それ以上の努力と工夫が必要なのだと思う。もしかしたら彼はそうした努力を後一歩で成し終えるところまで来ているのかもしれない。今年のマスターズを見ているとそんな気がする。

 我らが石川遼もそんな道を目指している。もっとも石川の実績はニクラウスやタイガーに比べたらゼロに近いものだ。メジャーを言う以前に、アメリカのツアーで一勝もしていないし、優勝争いすらしていない。だから彼が世界でも一流になろうと思えば、ニクラウスやタイガーがした以上の努力や節制や自己犠牲が必要なのだろう。もう既に日本では賞金王になっているのだから、これまでの努力を続けていけば良いのではと言う意見もあるだろうが、それでは日本ではよくても世界では通用しない。ニクラウス夫人が言った残酷な人生を歩むことができる人間だけが、幸運を味方につけた時、メジャーに勝つことが出来るのだろう。つらい道のりだと思うが、今日本でこれにチャレンジできるのは石川だけだ。一人のファンとして期待したい。