トルコ旅行で聴いた江利チエミと坂本九

 10日間ほどのトルコ旅行に行った。言葉と治安の問題からあまり好きではないパック旅行を選択したが、それなりに楽しいものだった。イスタンブールからトルコ中央部まで行き、またイスタンブールに戻るというバス旅行である。紀元前のギリシャ、ローマ文明の遺跡から、パムッカレ、カッパドキアのような自然が作った景観まで見所が多岐にわたっている。また大都市イスタンブールは歴史のある街に相応しいたたずまいと賑わいがあり飽きることがない。こうしたトルコの魅力はいずれ書きたいと思うが、今日はトルコで聴いた江利チエミ坂本九の歌について触れたい。バスの移動が長いので、日本語の上手なトルコ人ガイドが色々な話をして退屈させないようにするのだが、その中で彼が上記の二人の歌と喜多郎の'シルクロード'をかけてくれたのである。

 江利チエミは'ウスクダラ'と'シシュカバブ'の2曲で、坂本九は'ムスターファ(悲しき60才)'であった。'ウスクダラ'と'悲しき60才'は聴いた記憶があるが、シシュカバブは初めて聞く曲のような気がした。江利チエミの歌の上手さと坂本九パラダイスキングの現代的なハーモニーにすっかり感心した。

 その時に浮かんだ疑問は、当時何故トルコの歌が日本に紹介され、ヒット曲となったのかという点だった。今でこそ、行く先々で多数の日本人を見るが、戦後間もない1950-1960年頃はトルコと日本の関係などは希薄なものだったろうし、大部分の日本人にとってはトルコなどアラビア世界の一部の遥か遠い国としか考えられなかっただろう。そんな時代にどういう経緯で、トルコの歌が日本の人気歌手によって歌われヒットしたのだろうと思ったのだ。

 帰国して早速、江利チエミ坂本九のヒット曲について調べていくつかのことが分かった。まず'ウスクダラ'は1954年8月の曲でトルコの曲に音羽たかしと言う人が詩を付けたそうだ。ほとんどはトルコ語で歌っていて、後半が日本語になるのだがこの日本語の部分を作ったのである。トルコ語に詳しい人によれば、トルコ語と日本語の歌詞は全く関連がなく、トルコ人が聴くと'何でこうなるの?'と言ったもののようだ。もっとも音羽たかしと言う人は当時の人気作詞家で、'ダイアナ'、'恋の片道切符'、'情熱の花'、'悲しき16才’等数多くのヒット曲の訳詩、作詞を手掛けている。
 何故この曲が日本に紹介されたかというと、アーサー・キッドという歌手がブロードウェイのミュージカルで歌いヒットさせ、それが日本に入ってきたとのことだ。'シシュカバブ'も'ムスターファ(悲しき60才)'もこの'ウスクダラ'のヒットにあやかって制作されたのだろう。ちなみに前者は1957年9月、後者は1960年8月の作品である。但し'ムスターファ'はアラブ民謡でそれがトルコの恋の物語になっているそうだ。どうも怪しいこの曲の作詞は青島幸男である。また'シシュケバブ'には'串かつソング'という副題が付いていたそうだ。

 江利チエミの曲を調べていたら'イスタンブール・マンボ'というのもあったが、これはまるで初めて聴く曲名だった。何でもフォーフレッシュメン(わたしの大好きなコーラスグループである)の後継者的な位置づけのフォーラッズというグループがアメリカでヒットさせた曲のようである。これもぜひ聞いてみたい気がする。
 私の記憶にある後年の江利チエミは、ポピュラーソングを演歌風に唄うので少し辟易していたが、トルコで聴いた若い時の歌声は全くそんな癖のない素晴らしいものだった。おそらく1960年頃にあまた出したレコード、そのほとんどが世界中のヒット曲のカバー番だが、これらはきっと素晴らしい出来なのではと想像している。近い内に手に入れたいと思っている。