岡田ジャパンの勝利とモームの短編小説

 これを書かないわけにはいかないだろう。サッカー日本代表カメルーンに勝った。ワンチャンスを上手くものにし、後半の猛攻を何とか凌いだという試合内容で、運にも恵まれていたことは否定出来ないが、勝ちは勝ちである。
 青木功がハワイアンオープンに勝ち日本人初のPGAチャンピオンになった時は、18番ホールで100ヤードを超すショットを放り込むイーグルを取っての逆転優勝だったが、それでも勝ちは勝ちだった。岡田ジャパンの勝ち方も、勝つ時はこんなものだろうと思わせるものだった。2か月ほど前に岡田監督の目標設定について厳しいことを書いたが、そしてその気持ちは変わっていないが、初戦に勝ってこんなにうれしい気持ちにさせてくれたことには素直に感謝する。どうせ負けると思っても、夜中に(年を取ると夜に弱くなるのです)日本チームを応援してしまうのは、やはり愛国心なのだろう。


 今日のテーマは日本チームの勝因でも、オランダ戦での戦術でもなく(それらは私には適した話題ではない)岡田監督が持っている運のようなものである。岡田武史は2度ワールドカップの監督に緊急の代役のかたちで選ばれた。最初は1997年に加茂周氏が成績不振で更迭された時で、コーチから代理監督を経て監督になり、アジア予選を勝ち抜き初のワールドカップ本選出場を果たした。1998年のワールドカップでは3戦全敗に終わり、代表監督を辞任した。
 10年後の2007年には当時の監督のオシムが脳血栓で倒れた後に、再び監督に指名された。今度は初めからアジア予選の指揮をとり、何とか勝ち抜き、本大会出場を果たした。しかし2010年の日本代表は連戦連敗で岡田監督の更迭論まで起こった。最終の練習試合となったコートジボアールとの戦いを0-0で引き分けた時は、あきれると同時に、ここまで落ちたらもう下がることはないだろうといった感じになり、見ている方もあく抜けしたような気になった。私はあの試合の後、ふと'bottom out'という英語を思い出し、この言葉にこんなにぴったりする状況はないと感じたのである。
 そして今回のカメルーン戦の勝利となる。2度の予定外の代表監督就任も驚きだったが、今回の勝利もまた驚きだった。


 これまでの岡田監督の軌跡をみると、サマセット・モームの'人生の実相’という短編小説を思い出す。'人間の絆'や'月と6ペンス'が有名なモームだが、本当に面白いのは短編小説だと思う。'人生の実相'という小説は、会社の共同経営者として地位も信用もある男と彼の息子との関わり合いを書いたものである。彼はケンブリッジの学生でハンサムで成績優秀の息子が自慢だ。息子はテニスの腕前も中々で、男はある人からモンテ・カルロのトーナメントに参加させて経験を積ませたらと勧められた。彼はモンテ・カルロのように享楽的なところに息子を一人でやるのは反対だったが、結局認めざるを得ないことになる。

 出発前に彼は息子に3つのことを注意する。博打をしない、金を貸さない、女と関わり合わないの3つだ。息子はトーナメントで新人としてはまずまずの成績を収めた。帰国の前日、彼は友達に勧められ、物は試しとルーレットをやってみると最終的に2万フランも儲けてしまう。カジノで一人の美女に1千フラン貸すが、女は返しに来る。賭けをやる前も、金を貸した直後にも、父の忠告を思い出したが、なんの問題も起こらなかった。

 金を返しに来た女に誘われ一夜を共にし、儲けた金を取られそうになるが夜中に気づき、女が寝ているうちに取り返す。それどころか暗い部屋で金を取り返したので女が元々持っていた分まで持ってきてしまい、ここでも儲かってしまう。(この辺りの描写は短編とは言え大変優れたもので、当時大学に入ったばかりの私はハラハラドキドキして読んだ記憶がある) 帰国して息子は父に忠告に反したことをしたが、問題が起こらなかったばかりか、儲かったことを話す。
 父親はそれまで息子が彼を尊敬し、その言うことを忠実に守ってきたのに、このことがあってからは尊敬も薄れ、耄碌親父のように見ていると、ブリッジのクラブで友人にこぼすのだ。父親からすれば、息子は単にまぐれの連続で災難を逃れたのに自分の才覚と勘違いしているし、このままだと将来痛い目にあう。友人たちはその話に大笑いをしながら、また父親の言うことが間違っていないと思うが、有頂天になっている息子に与えるアドバイスなど考えつかない。そんな時友人の一人の弁護士が言う。
'ぼくが君だったらあまり心配せんだろうね。僕の信ずるところでは、きみの息子は生まれつき幸運に恵まれている。そうして、長い目で見ると、これは、生まれつき賢いとか、生まれつき金持ちだというのよりも、いいことなんだよ'


岡田監督も一番大切な'運'を持っているようだ。2度も緊急避難的に代表監督に就任したが、このこと自体が普通ではないし、彼に監督を任せたことは結果として日本のサッカー界にとって、大きな幸運だったのかもしれない。仮に(というか実力どおり)オランダ、デンマークに負けたとしても、岡田監督がもたらした幸運は、日本のサッカー界に何か大きなものを与えるかもしれない。そんなことを感じさせる人間はそんなにはいないものだ。