還暦雑感

 私は4月に還暦を迎えた。これといった感慨はないが、年をとったということは強く感じる。別に4月に急にそう思ったわけではなく、50歳くらいから徐々に感じていた老いを改めて実感すると言ったほうが近い。老いと言うのは肉体的な衰えであって、頭髪が薄くなり、しわが増え、細かい字が読みにくくなり、筋力が落ちてくるといった変化である。歩いているとつまずきそうになったり、ゴルフでもすっかり飛ばなくなったりすることで衰えを具体的に感じる。

 では頭のほうがしっかりしているかと言うとこれも心もとない。人の名前などが中々出てこないことはしょっちゅうである。記憶力も落ちて新しい人や顔が覚えられない。テレビの女性タレントなどは皆同じ見えてしまい中々覚えられない。
 しかし気持ちは変わらないようだ。精神的には年をとって成長したなどとという実感はほとんどなく、子供の時とあまり変わらないままである。初めて読む本や聴く音楽には、今でもドキドキ、ハラハラするし、ゴルフももっと上手くなりたいと思って昔よりずっと練習をする。(まあ、単に暇が増えただけかもしれないが)

 40代から50代前半までは、癌になったら困るとか、アルツハイマーにはなりたくないといった気持が強かったが、今は困るけれどもそうなったら仕方がないと考えるようになった。ならないような注意はしても、病気になる時はそんな努力とは無縁になるような気がする。両親、長兄が他界すると人は死ぬものだということを実感するし、自分が遠くない将来人生を終えてもなんの不思議はないと感じる。

 こう書くと何の取り柄もない単なるわがままオヤジのように思われそうだが、それは実際事実なのだけれども、それでもいくつか若い人にアドバイスをしたいことはある。今の若い人達を見ていると情報量が多すぎて消化しきれず、考えてばかりで行動に移せない人が多いようだ。反面若くても起業しIPOで一儲けしようと考えて行動する積極的な人もいて、両極端に見える。

 私が対象にするのは行動力に欠けると感じられる多数の方だ。世の中には様々なタイプの人がいて、価値観や求めるものが違うため、社会の仕組みは複雑になっている。人々の意見はなかなかまとまらないし、自分の意見は簡単には通らず、フラストレーションの連続だ。しかしだから面白いとも言え、結局考え方の相違が世の中が上手く行く原点であるような気がする。そんな状況であまりネガティブな面ばかりを見て、前向きに生きる活力を失くしてしまうのはつまらないと思う。

 若い人達には、私達の世代(1950年前後の生まれ)は高度成長期に青春を過ごし、将来に希望を持てた幸せな世代と映るようだ。しかしそれは今の時点で、昭和、平成を振り返って過去を評価するとそうなるというだけで、その時代を生きてきた私達が希望に満ちていたわけではない。その時代にはその時代の苦労があり、それは現在の若者に比べ楽なものだったとは決して思わない。いつの時代も若者にとって未来は明るいものではなく、競争は厳しいのだ。ただ違いがあるとすれば世の中の空気で、私達の頃は今ほど淀んでいなかったと思う。

 今の若い人は私達よりはるかに豊かに育っているので、生活の向上とか世の中の改善に対する意欲が少ないように感じる。もしくは意欲はあっても、そのために必要な労力と結果の不確実性を考えるあまり、行動に移るのを躊躇うようだ。だから結果が明確に見えるような時には、普段では見られないような行動力を発揮する。阪神地震の時の若い人達のボランティアはその良い具体例で私達を感激させた。そうした行動力を普段の生活の中で出して欲しいと思う。同棲はしても妊娠するまではなかなか籍を入れない風潮などは理解し難い。思慮深いとか慎重だと言うより、往生際が悪いというか踏ん切りがつかないように見える。
 自分たちが不幸な時代に生きているからそうなるとのだと考える前に、世界のほとんどの若者は生きてゆくだけで精一杯な現実を知るべきだし、実際日本の若者ほど恵まれている人達は世界でも一握りなのだ。

 仕事や研究を夢中でしたり、趣味を深く追求したり、好きな人が出来たら結婚し、子供を授かったら愛情を持って育てるといった当たり前のことをことを続けていくうちに年をとるという生き方をしたらよいと思う。そんな人生に意味があるのかと考える人もいると思うが、それならその考えをとことん追求して欲しい。当たり前の人生を普通に生きてゆくために必要な努力は小さいものではないし、行動する努力を続けるうちに見えてくるものがあるのだ。

 繰り返すが年をとっても賢くなどはならない。しかし長く努力を続けることでしか手に入れられない物が、これは物質的なものだけなく精神的なものでもそうだ、大半だということがはっきりと分かる。生きるとはそういうことでしかないと思う。