'中嶋常幸氏のコラム'を読んで思うこと

プロゴルファーの中嶋常幸氏が週刊文春にコラムを連載している。これが示唆に富む内容で、氏の思慮深さが感じられる、すぐれものだ。最新号では'マスターズで感じたこと'というタイトルで、参加した日本人選手のプレーぶりと韓国人選手の強さに見るスポーツに対する国のサポート体制についての2点について述べている。

第1の点では特に片山晋呉へのコメントが説得力があり、抑えた表現だが正当な批判だと思う。片山は言うまでもなく現在の日本プロゴルフ界ではナンバーワンである。体格的に恵まれているとは言えないが、比類ない練習の量と質で正確な技術を身に付けた選手である。過去4回日本の賞金王になり、2001年の全米プロゴルフでは4位、2009年のマスターズでも4位に入った輝かしい戦歴を持っている。しかし片山は昨年のマスターズで4位になった後精彩を欠いている。燃え尽き症候群というマスコミもあるが、わたしは違うと思っている。

マスターズ4位は素晴らしい成績で、飛距離で劣る日本人選手でも最高の技術を持てば十分戦えることを示したものだ。片山の技術が世界の一流選手に引けをとらないことを証明したとも言える。しかしこれは片山が予想した以上の成績であったに違いない。前年の試合後には自分の体格では高い球が打てずマスターズでは通用しない、次の次の世代に期待するしかないなどと言っていたのだから。彼の4位は実力が4位であるのを意味するわけではなく、上手くいけば片山のゴルフでもメジャーで優勝争いが可能だということを明らかにした点で意義があるのだ。
従って彼がその成績に恥じない一流の選手であり続けるためには、難しい試合にチャレンジし続けるしかない。しかし彼は体調不良を理由に昨年全米オープン全英オープンを欠場し、今年に至ってはマスターズの前にマレーシアで1試合に出ただけでオーガスタに来たのだ。あらゆる要素が最高に上手くいった結果が昨年の4位なのだから、当然ひと月前くらいからアメリカの試合に出て準備をすべきだったろう。実際石川遼池田勇太もそうした準備をしていた。世界中のマスターが集まる試合への参加の心構えとしては不適切だし礼儀を欠いた態度でもある。


多分昨年のマスターズ以降、試合への対処で最も苦労していたのが片山だったろう。彼自身マスターズが出来すぎだったことを、そして恐らく2度と出来ない内容だったことを一番わかっているはずだから。だからと言ってその後のメジャーを休んだり(体調が悪いとしても)、今年のマスターズのように不成績の理由をあらかじめ作っておくような準備の仕方をすべきではないだろう。石川、池田という若手が出てきても依然片山はナンバーワンゴルファーなのだから、彼らの手本となるようなチャレンジ精神を持ち続けて欲しいものだ。


2番目のスポーツ選手への国のサポート体制とは、今再び話題となっている事業仕分けとも関連する予算配分の優先順位の問題である。スピードスケートの清水宏保選手も朝日新聞に同じようなことを書いていた。中嶋選手はプロだし、清水選手はアマチュアなので同じ問題としても希望する程度や内容は異なると思う。しかしこの人達のレベルになると世界的な試合では日本全体の期待を背負うような感じがあるし、次の世代の育成には強い関心があるから、国のサポートに対して同じような気持ちを持っているのかもしれない。

前回の事業仕分けの時に、スーパーパソコンの予算問題で某ノーベル賞化学者が'歴史の法廷に出る覚悟はあるのか'と大見えを切ったが、これも根は同じだ。国の経済が右肩上がりで予算が増えていく状況なら良いが、37兆円の税収で92兆円の予算を組む時代である。すべての人がそれなりの我慢をしなくてはならないのは子供でも分かる。減らされた予算をどう有効に使うかのほうがより重要な問題で、減らすなと居丈高に主張するのは傲慢の誹りを免れないだろう。実際多くのコンピューターの専門家が別に2番でも良いのではないか、ス-パーパソコンを1番に開発する優位性は今はそれほどないとコメントしていた。2番を目標にしたら3番にも4番にもなれないという子供じみた精神論でノーベル賞化学者に媚を売っていたマスコミなどはまともに批判する気にもなれない。

しかしこの件で最も情けなかったのは何といってもノーベル賞受賞者にねじ込まれて何の反論も出来なかった鳩山首相以下の与党政治家である。何故政治家としての責務を語ろうとしなかったのだろうか? そう考えたくはないが、政治家としての信念とか哲学とかを持っておらず、その場限りの対応をしているとしか感じられない。'皆さんの言うことは分かる。しかし財政がこれだけ厳しい状況では、まず第一に貧困や医療費の問題で最低の生活も出来ず生存の危機にある人、基本的な教育を受けられない人のような虐げられた人から予算を配分してゆくのが政治家としての使命である。根本的に必要なものに支出した後、いろいろ分野につける予算が減ったとしてもそれは理解していただきたい’このくらいのことを堂々と述べて説得してほしかった。それが出来ないのでは国際政治の舞台で海千山千の外国の政治家と対等に渡り合えるとは到底思えない。

中嶋氏のコラムはこんなことを考えさせる深さがあるし、その控えめだが信念を感じさせる主張の仕方はノーベル賞受賞者の傲慢な主張よりはるかに効果的だ。