チリ人の友人

チリ人の友人がいる。2月末の大地震で心配していたが、やっと連絡が取れて無事が確認でき安心した。彼(A氏と呼んでおこう)とはエクソンモービルで一緒に仕事をした仲で、特に彼がシンガポールに赴任した後は、同じアジアパシフィックということで共同のプロジェクトに参加したり、会議で顔を合わせたり頻繁に会うようになった。その後彼はブエノスアイレスに転勤になり、わたしは2年ほど前に退職した。昨年私の家のPCが壊れてディスクのデータがすべて消滅し、彼のプライベートのEメールアドレスを失くして連絡が出来なくなっていた時に、あの大地震が起きたのである。

A氏のEメールアドレスを色々な人に聞いているうちに、彼が今年2月に退職していることが分かった。まだ49か50歳の有能な男でで、会社でも重要な仕事を任されていたので、これは新たな驚きだった。チリ人と言っても彼は見た目はヨーロッパ系の白人で、40歳のころから全く頭髪がなく、ずんぐりむっくりの体型で人懐っこい笑顔を絶やさない男だった。オーストラリアのプロゴルファーでアメリカと日本でも活躍しているクレイグ・ぺリ-に雰囲気は似ているが、もう少し知的な感じを持っている。父親の仕事の関係で高校からアメリカに行き、プリンストンで学部と修士課程を終えた秀才である。


A氏は卒業後、チリのエクソン系列の会社に入社し、財務、営業を経て人事に異動したと聞いた。アメリカの有名大学院を卒業していることもあり、彼はチリで順調に昇進していたが、数年でチリには彼に合うポジションがないことを理解する。チリのマーケットの規模では現地の会社も、ヨーロッパやアジアの主要国の関連会社と比較すると小さく、そこの幹部社員と言ってもランクはあまり高くないのだ。A氏は有能なうえ英語も完璧に話すのでアメリカにある関連会社へ転勤となった。その後パリ、シンガポールアメリカ、タイを経てブエノスアイレスに転勤になり、子供たちのいるチリに近くなったと喜んでいた。

彼は特に語学の才能があったようでスペイン語ポルトガル語、英語は完璧で、フランス語は日常会話は不自由せず、北京語はプリンストンで6年間学んだとのことで新聞などはほとんど問題なく読めた。そのため会社でも大変重宝がられ、人事の国際的なプロジェクトに数多く参加した。そのため頻繁に転勤があり、その貢献の割にはアメリカ人社員ほどは報われていないという気持ちがあったようだ。イクスパット(expatriate)の生活は見方によっては大変優雅であるが、彼のようにそれが長く続くと、母国が遠く不便なこともあってつらかったのかもしれない。

外資系企業はどこでも多かれ少なかれ同じで、本社のある国の社員が優遇される。それは私たちのような現地法人で採用された者にはフラストレーションを感じさせることもあるが、現地法人の規模が大きいとそこでの社員同士の競争は厳しいし、会社の社会におけるプレゼンスもそれなりに高いので、そこでの成功が達成感と満足感を与えてくれる。また待遇も日本的な処遇の仕方はないが可なり良いものになる。また幹部になっていくにつれ実績が重視されるので、アメリカの会社は国籍を超えてフェアに処遇するようになる。日本で私の上司だったアメリカ人でも私より下のランクで止まっていた社員も多くいた。


A氏の場合は違っていた。彼には戻るべき会社が実質的にはなかった。彼の持つ能力に見合う仕事は限られてたし、イクスパットは会社からみるとコストがかかる存在である。 さらに彼はその性格からコーディネーション的な仕事が適しているとみられていた。彼の会社への貢献は多くの人が認めていたが彼に会うポジションは多くはなかった。彼は自分にふさわしいマネジメントポジションはアメリカ人が占めてしまい、自分に回ってこないという気持ちを持っていたようだ。さらに合併後の混乱が一段落し、将来の方向が見えてくると、会社は若い社員を重要なポジションに抜擢するようになった。アメリカ人社員でさえ、一部の幹部を除き50歳以上の人達は居心地の悪さを感じるようになっていった。 そんな状況で彼は退職を決意したのである。

私が感じるのは、こうした小国に比べての日本の優位性である。そんなことは当然だと言うかもしれないが、ここで生まれた人は初めからそういう環境にいるので、その有難さや優位性をよく理解していないと思う。大新聞などが日本の欠点ばかり強調し、他国を一部だけ見て褒めそやすような事を繰り返し報道するので、若い人たちの多くはこの国に生まれたメリットを感じるどころか、不幸だと思ってしまうようだ。

アメリカ的な格差の拡大はあっても、まだ日本には多くの優良な就職先がある。超一流大学を出なくても努力をしてきちっと勉強をしておけば、母国にある大企業や外資系企業、規模は大きくなくても強い技術を持った企業などに仕事を得るチャンスは大いにある。A氏のような学歴と語学力を持っていても母国に良い就職先が少ししかないのとは大きな違いだ。A氏はアメリカ企業でなく、外交官でも目指したほうがよかったとの意見もあるだろう。しかしチリは1970年に社会主義政権が出来、その後はずっと軍事政権が続いた。政治的、社会的な安定を見せるようになったのは1990年以降である。

A氏がアメリカの高校に入学した時も軍事政権の時代で、国に残っていても将来がよく見通せなったのだろう。その辺の経緯を彼から聞いたことはないが、父親の考えだったのかもしれない。初めてアメリカの高校に行った時に吃驚したのは、昼休みになると生徒がDJをして音楽を流し始めたことだそうだ。彼が驚いたのはアメリカの豊かさだけではなく、母国には少ない自由だったのかもしれない。

それでもA氏は一般のチリ人から見ればはるかに恵まれている。アメリカの高校に行き、名門大学院を卒業し、世界的大企業で働いてこれたのだから。日本の若い人は努力次第でそれ以上のキャリアをつくれるチャンスがあると思う。どうもチャレンジする前に諦めてしまう人が多いような気がする。そうした諦めの良さが賢さだと勘違いしているようだ。もっと世界へ出てほしいと思う。仕事をしてお金を貯めたり、奨学金を得たりすれば海外で勉強するチャンスは大いにあるのだ。日本ではそれは経済的に恵まれた人だけのものではない。大きな夢を持てるのは若い人の特権である。世界ではその夢さえ見るのが難しい人のほうが多いことを理解してほしい。

その後のA氏だが、チリに本社を持ち、南米全体にスーパーマーケットのネットワークを持つ巨大小売りチェーンの人事本部長(Corporate HR Manager)のポジションを得た。新しいチャレンジに成功して、母国の企業に貢献することを祈ってやまない。