電波腕時計

横浜駅方面で用があったのでついでにデパートに電波腕時計を見に行った。関内にある私の事務所からは2駅なのだがそっちへはあまり行かないので、繁華街ではおのぼりさん状態である。電波腕時計に興味を持ったのは各時計会社の広告の影響だ。わたしなどは極めてアプローチしやすいターゲットなのかもしれない。ゴルフの時にするのに良いかもしれない思った。電波で時刻調整をしてくれるし、ソーラーで電池不要だから言うことなしだと考えたのである。


無知とは恐いもので、わたしは海外に行けばそこで現地の電波を受信して自動的に時刻合わせをしてくれると思い、海外でのゴルフでも強力なツールだと考えていた。ところが説明を聞くと、海外の時刻が合わせられるのは最近出た高級品タイプだという。それも現地行くと自動的に針が動いて修正するのかはわからない(聞き忘れた)。広告で一番気に入っていたアテッサというのを見せてもらうと、こいつが可なり大きく、ごついしあまり食指が動かない。少なくてもゴルフには向きそうになく関心が一気に薄れた感じである。


携帯電話やPCにも時計機能はあるし、街の至る所に時間を知らせるものがあるので腕時計そのものの存在価値は小さくなっている。一方でグローバル化は止まらないから、ちょっとしたビジネスマンは(スポーツ選手も)世界中で時刻合わせをしないで済む腕時計があれば便利だと思うだろう。

こう考えると今時計の機能として求められているのは、正確さより、世界各地の時刻への対応とソーラーによる電池不要なのかもしれない。無論電波を受信して時刻合わせをするのだから正確なのは当然だが、正確さを全面的な強みとして訴求しても効果的ではではないかもしれない。



大体時間に細かいのは日本人だけだと言っても良いくらいだ。わたしがサラリーマンだった時、日本に転勤してきたアメリカ人の同僚は山手線や地下鉄で日本人が電車に乗り遅れまいとして、走って飛び込むのがどうしても理解できないようで、何度も私にその点を質問した。彼にとって不思議なのはチョット待てば次の電車が来るではないか、何故発車しそうな電車に危険を冒して飛び乗ろうとするのかと言う点だった。日本人とはそういうものだというしか答えようがない。もちろん時間に対する態度としてである。

海外で会議に出ると途中のブレイクの後、時間どうり会議室に戻るのは大体私だけだった。後の連中はコーヒーとクッキーで延々と議論している。さっきまで私と話していて、私が時間だから部屋に戻ろうと言って離れた人が、他の人とまた話を始めて戻ろうという気配すら見せない。彼らにとって時間の狂わない時計というのはどれほどの価値があるのだろうか? 世界各地から集まってくる人達にとっては時差を自動的に修正してくれる時計があればどんなに便利だろう。腕時計の電波腕時計のマーケットはそこにあるのではないか。そうでないとロレックスやオメガを買えばよいことになる。


これは自動車にも言えることだが、高級品の分野では海外、特にヨーロッパの製品にはかなわない。ブランド力の違いというやつである。それでも車は国内でそれなりの需要があるし、またBRICsのような市場も生まれてきているから品質の良さを売り物にした日本車の価値は高いと言える。またトヨタがレクサスブランドをアメリカで成功させたことも画期的だ。メルセデスアウディBMWに負けないブランドを築いたのだ。肝心の日本のマーケットでは苦戦しているようだが、その結果レクサスの希少性が出て価値があるという見方もある。どうも日本ではやっと車にお金がかけられるようになった層が、好んでヨーロッパ車を選ぶようだ。


腕時計となるとそのブランド力の弱さは車の比ではない。上で述べたように腕時計が単に時間を見るための道具ではなくなってしまった。ファッションやステイタスで選ぼうとすれば日本製は勝負にならない。日本製でちょっといいなと思うデザインのものは、ほとんどが外国製の模倣である。デザイン力が圧倒的に負けているのだろう。グランドセイコーのような高価なものもあるにはあるが、実物を見ると確かに丁寧に作りこんだ重厚感はあるが、それは高価な刀を見るような感じで、職人の意気と腕は感じても、値段に見合うファッション性と高級感はない。レクサスのようなブランドを腕時計の領域で作り上げるのは、性能と品質の競争ではないだけに難しいのだろう。そこで電波腕時計に期待してしまうのだ。

多分電波腕時計はまだ発展途上なのだと思う。近い将来もっとコンパクトで操作性の良い製品が作られるだろう。その時は、機能・品質と値段の関係を先入観なしに見てよいものを選ぶアメリカ人が日本の高級腕時計を支持してくれるかもしれない。レクサスブランドがアメリカで成功したように。