M君のギターと「偶然の旅人」

 横浜中華街の外れに’横浜カントリー・ハウス’というライブハウスがあった。入居している建物の取り壊しのため4月末に閉店になったので過去形だ。寺内たけしとブルージーンズのメンバーだった人が経営していた。ここに4月25日に行ってきた。旧い友達のM 君が出演したからだ。彼とは小学校から高校まで一緒だったが、もう40年近く会っていなかった。再会のきっかけは共通の友人が3月に他界した件で連絡を取ったからだ。その時会って少し話した中で彼がまだバンド活動をしていることを知った。大学在学中からプロとしての活動をはじめ、34歳まで続けたが上手くいかずサラリーマンになったそうだ。きっと家族のために安定した仕事に就いたのだろう。小学生の時から割合成績も良かったのでサラリーマンとしてもしっかりやっていたのだと思う。

 

 60歳になるころにギタリストとして再びバンドに参加して今に至っているそうだ。カントリーミュージックのバンドだがロックもポピュラーもやる。ステージでは楽譜も見ないので何曲くらい覚えているのか訊いたら数百曲ではきかないと言っていた。「凄いね」と驚くと「仕事だから」と返事をした。ホームページもあるプロのバンドだから匿名にすることもないのだが、名前を書くのは少し抵抗があるのでM君としておく。ちなみにバンド名は' Country Splash'でHPはhttps://countrysplash.wixsite.com/mysiteです。興味のある方はどうぞ。

 

 小さなライブハウスはもうすぐ閉店のせいなのか一杯で、大半が年配の客たちはノリノリだった。カントリーファンというのはいつも一定の比率いるものだ。彼が銀座で出ていた店は客に歌わせたそうでバンドをバックに歌いたい人も少なからずいる。ギターを弾く写真がこれでキイボードとボーカルを担当する女性も写っている。

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 ギターを抱えるM君を見ていると高校時代を思い出す。当時チェット・アトキンスに凝っていた彼は、チェットアトキンス奏法をもっとよく知ろうと思いチェットに手紙を書いた。50年以上の前のことだ。何とチェットから返事が来てきちっとサインがしてあった。彼は嬉しそうに手紙を見せてくれたが、内容は弾き方はわたしの本に書いてあるといったものだったと思う。7時から30-40分のステージを3回やった。休憩中に話す彼は高校時代そのままの純粋さがありギター少年がそのまま年取ったようだった。

 最終ステージのアンコールはイーグルスの’Take it Easy'とチャック・ベリーの'Jonny B. Goode'だ。これでは盛り上がらないはずがない。フェンダーのギターをピックで時に中指、薬指まで使って見事に弾きこなすM君は少し枯れた感じはあるがわたしには眩しかった。

 

 一緒に行った同級生がわたしがギターを弾くことを知っているので「どう?」って訊いてきた。君から見てどのくらい上手いのという意味だと思って、「ゴルフでいえばぼくがハンディ24で彼はハンディ0だ」と答えた。アマチュアの中級者とプロの違いで比較にならないと言ったのだ。質問をしたゴルフ仲間の同級生はなるほどという顔をした。M君は無名のギタリストだがプロとして金をとっているだけの技術がある。それはとても追いつけないものだ。アマチュアはいかに上手くても金を払う方だ。この差はとても大きい。TVのゴルフ番組でアマの上級者(ハンディが5以下だろう)がシニアで全盛期より衰えた有名プロと戦うのがあるが、年をとってもプロとアマの差は歴然だ。ショット、パット、コースマネネジメント、立ち振る舞いすべてが全く違う。 出演するのは賞金を稼いできたプロが大半だから命を懸けて練習をしてきた人たちだろう。それが体や動きからあふれている。(そこらの練習場にいるプロとはわけが違う)

 

 わたしには神業のような技術を持つM君でもプロとしては日の目を観なかった。それだけプロの世界は厳しいのだろう。これはゴルフだけではなく野球でもサッカーでも絵画でも小説でも他の楽器でも同じだ。特に音楽の世界では技術がベースでそれにオリジナリティがないと一つ上には行けないような気がする。こんなことを考えていると村上春樹の「東京奇譚集」を思い出した。これは短編集でいわゆる奇譚な話を集めたものだ。村上春樹に言わせるとこれらは作り話ではなくて人から聞いたりした実際にあったことだそうだ。

 その最初が「偶然の旅人」という話で41歳のピアノの調律師が主人公だ。横浜のアウトレット・モールが舞台になっていて、そこはわたしの家から車で10分ほどなのでこの話は印象に残っている。このアウトレットはオープン当初は中々高級感があり、おしゃれなレストランが幾つかあったが今は普通のアウトレットで特別なおしゃれ感はない。この話はオープンの頃のことだ。休みのたびにここのアウトレット・モールのカフェに来て本を読むことにしている主人公が出会う奇妙な偶然が描かれている。ちょっと切なくていい話なのだがここではそれには触れない。

 わたしが思い出したのは主人公がある事情で仲たがいをしていた姉と再会した時の会話だ。姉が言う。「あなたはゆくゆく、コンサート・ピアニストとして名を成すだろうと思っていたんだけど」それに対して主人公は次のように言う。「音楽の世界というのは、神童の墓場なんだよ」

 そうなのだ。プロの世界とはそういうものだと思う。野球でもドラフトで指名されてプロ球団に入るのは野球少年の中の一握りのエリート(きっと東大に入るよりずっと難しい)だが、ドラフト指名を受けた中から抜け出して一流プロになるのはもっと難しい。才能の有りそうな子供を持つ親が悩むのはここだろう。チャレンジしなくては何も始まらないし、チャレンジしても成功の確率は小さい。ただ言えるのは超一流になる人たちはスタートからもうはっきりしていてこんなことに悩まないということだ。

 

 ギター少年の面影を残すM君は経済的には成功したとは言えないかもしれない。 しかしわたしにはM君の人生は悪くないように感じる。わたしは企業人としてそれなりに上手くいったと思うが、そしてそれに不満もないが、無名のギタリストで今も現役のM君の人生と比較して特に良いとも思えないからだ。人はそれぞれの個性や才能にあった生き方しかできない。その意味からするとM君はわたしなどよりも自分にあった生き方をしてきたと思う。ステージの彼は現役で衰えてなどいない。