2018年10月の雑感

 最近朝晩は涼しさを感じ、昼の風もさわやかで車でも窓を開けていた方が気持ちいいくらいだ。しかし日向に出ると日差しは強いし長くいられない。秋の気配は来ていてもこれまでとは少し違う感じがする。

 テレビのニュースでも報じられていたが、今年はキノコがとても多い。わたしの庭にも直径20センチを超す大きなキノコが円を描くように生えていた。庭に生えるキノコは好きではないのですぐに掘って取ってしまったが、また別のやつが生えてくる。キノコが好きでないのは子供の頃に見た「マタンゴ」という日本映画のせいではないかと思う。南海の孤島に流れ着いた人たちがそこのキノコを食べると、そのキノコ(マタンゴ)になってしまうというどうも気味が悪い映画で、60年くらいたった今でも映画のシーンをよく覚えている。もちろん我が家に生えたのはマタンゴではなくオオシロカラカサダケというもので写真はこんな感じだ。



 調べたところでは毒キノコで食べると下痢、嘔吐となり最悪の場合は死ぬという。庭のキノコを食べようとは思わないが、孫が遊びに来て口にしたりしたら怖いと思う。スコップで土ごと掘ってとったが数日後違うのが生えていた。これはとげのようなものがあるのでヒメホコリタケらしく、他にもシバフタケが生えていた。今の家に住んで35年くらいになるがこんなにキノコが生えたのは初めてで、暑さと雨が普通でなかったことの影響なのではと思う。

 元横綱の輪島が死んだ。70歳だそうでこの数年は喉頭がんを患っていたとのことだ。憎らしいほど強かった北の湖を下手投げで何度も負かしたシーンは今でも鮮明に覚えている。相撲を辞めた後はプロレスラーやタレントとして生活をしてきたが、天才型の名横綱の引退後としては寂しく感じたものだ。平成の大横綱貴乃花も若くして相撲界を去ることになったがどんな人生を歩むのだろうか。

 名横綱は引退後は親方となり、相撲協会の理事長になるものだと思っていたが、栃若時代ならいざ知らず最近はそうもいかないようだ。このルートは北の湖が最後のようだ。今の時代で協会のトップになるには外部の有識者と良い関係を保ちながら、旧来の親方衆の意見を上手く調整する能力が必要なようで、大きな変化を求めない常識的な人が求められていると感じる。相撲界の内実は分からないが、まだ旧態依然で改善すべき点があっても、急激または徹底的にやろうとすると強い抵抗にあうのだろう。貴乃花はこの点で嫌われた気がする。

 常識にとらわれず好きな生き方をした輪島などは、私生活を上手く律しきれなかったのか借金問題で追放されてしまったが、いかにも昔からの相撲取りらしく豪快な生き方なので、もう少し良い形で相撲界に残れる方法はなかったのかと感じてしまう。貴乃花もそうだが、相撲界を盛り上げた立役者たちだ。こうした人たちが角界に残れず、三役や前頭で終わった力士たちが上手く親方株を手に入れて権勢を振るう風潮はどうも好きになれない。計算づくで世渡りが上手い連中がのさばる現代社会そのもので、相撲界などは少しは違っても良いのではと思うのだ。

 もっとも輪島の人生が本当に不幸だったかどうかは分からない。彼は才能を生かしてスターになり、好きに生きて相撲界を追われて別の道に進んだ。それは従来のスター街道ではなかったが、わたしが思うほど本人は気にしていなかったかもしれない。人の生き方でこれがいいとか、上等だとかの区別があるとは思えないからだ。人は皆生きて死ぬ、その中でどう生きようと(特別な場合を除いては)、誰もいいとか悪いとか言えない。政治家になって権勢を振るっても、実態は嘘と騙しの人生かもしれない。何が良いなんて誰にも言えない。そんな生き方だったと言えるだけだ。だから貴乃花も自分が良いと思える人生を歩むしかないのだと思う。

 わたしも68歳になると輪島の死が身近に感じられる。後5年で死ぬのか、20年生きられるのかなんて分からない。自分の来た道を振り返ったり、いろんな人の人生を見ていると、出世しようと金持ちになろうと有名になろうと、大した違いはないと思えるのだ。だれだって自分なりに生きてゆくしか出来ない。それでも法を犯したり人を騙したりはしない方がいいし、そんな人たちの人生がそれはそれでいいとは言いにくい。(それでいいという考え方もあってそれも分からなくはないのだが、そこまで話を広げると複雑になりすぎるのでやめる)

 わたしには社会的活動をする力もないので、健康で楽しく毎日を送ることを考えている。ゴルフとギターがもう少し上手くなればいいのだが、中々そうはいかない。ゴルフなどは若い時より上手くなっていると思うのだが、スコアは変わらないし、ハンディキャップも19に落ちたままだ。ギターもほとんど毎日弾くが進歩は少しづつだ。弾けない曲が弾けるようになったり、むずかしいフレーズが出来るようになると嬉しくなるが、お手本のようにきれいな音が出るわけではない。ギターはゴルフのようにスコアがないので、目標はお手本のようにに弾くことだが、これはプロゴルファーのようにプレーすることと同じで一生無理な話だ。それでも目標を持ってやるのは楽しいことだ。
 
 問題はいつまでゴルフやギターが出来るかだ。出来なくなったらどうなるのだろう。寝たきりになるのかボケてしまうのか分からない。心配してもどうにもならないが、避けては通れない道なのだろう。それにしても70歳は早すぎるなあ。

PS 今日自分のブログを開けたら記事の後の広告が入っているのでびっくりした。目につくところのものを消したのだが、勝手に載せているのに、消そうとすると理由を聞く画面が出たりして腹立たしい。断固消すアクションをとると、それではこの広告はもう出しませんというメッセージとともにgoogleの文字が出る。少したってまた見るとさっきの広告はなくなっているが別の広告が出ている。わたしはブログに広告を載せようなんて思ったことはない。勝手に載せるのは泥棒に等しい行為ではないのか。googleどんな説明をするんだ。乗せるなら仁義を切るなり金を払えといいたいところだ。