錦織圭と松山英樹

 2015年、日本のプロスポーツ界は錦織圭松山英樹の活躍で始まった。錦織はオーストラリアのブリズベンで、松山はハワイのマウイ島で今年最初の試合を戦ったので、またどちらもアメリカをベースにするスポーツ選手なので、ふたりの活躍を日本のプロスポーツ界の出来事と言えるかは議論があるかもしれないが、わたしたちが応援する実力派日本選手だからそう言っても良いのではないか。

 錦織はブリズベン国際でベスト4になり、松山はヒュンダイ・トーナメント・オブ・チャンピオンズで3位に入った。錦織はラオニッチとの準決勝で3セットもタイブレークになる大接戦で惜敗したが、最後はラオニッチの強力サーブを返すのに疲れてストロークのミスをしてしまったように見えた。それでもこの試合を含めて全試合で堂々たるプレーを見せ、世界5位のランクに相応しい存在感を示した。

 松山は3日目で首位タイになり、優勝の最右翼と思われたが最終日に伸ばしきれず、1打差でプレーオフ進出がならなかった。しかしドライバーの飛距離、アイアンの切れ味、アプローチの繊細さなど他のトッププロ立ちと全く遜色なく十分な実力を示した。TV中継の解説をしていた田中秀道プロが松山のことを「日本人プロゴルファーが活躍しているというより、世界のトッププロとしてその力を見せているという感じだ」というニュアンスの事を言っていたが全くその通りだと思った。

 二人の試合ぶりを見ていて一番感じたのはその自信に満ちた態度というか立ち居振る舞いだ。世界の舞台で臆することなく自分の力を発揮している。錦織は準決勝に勝ち上がるまでランキング下位の選手と戦っていたが、全く歯牙にもかけない試合ぶりで勝ち上がってきた。それは何年か前に錦織がフェデラーなどのトップ選手と戦った時に、トップ選手が見せていたオーラ、お前とはレベルが違うぞ、といったオーラを今錦織が出していた。錦織が実際トッププロになったのを示しているようだった。
 松山が出たヒュンダイトーナメントは昨年の米国PGAツアーの優勝者だけが出ることができる試合で勝っていない石川遼は出場できない。もっとも世界ランクのトップ3、マキロイ、スコット、ステンソンが出場していないので、トッププロ全員とは言えないが、昨年の優勝者のほとんどが出ている舞台で、彼らに交じっても松山のプレー振りは堂々として風格さえ感じさせた。

 世界のトッププロとして見事な活躍を見せている二人だが、色々な点で異なるところがある。錦織は元々こんな自信に満ち溢れた態度を取っていたわけではなく、よく知られるようにマイケル・チャンの指導を受けてから精神的な成長を示し、それが成績の向上に伴って板についてきたようだ。体格の点でも190センチを超す身長が珍しくない世界のトッププレーヤーの中で178センチの錦織は見るからに小柄で華奢だ。テニスの内容もサーブで圧倒して勝つというよりも、しぶとくボールを拾いながらチャンスを作り、そこで強いショットを打つ戦法だ。だからトップ選手を相手にすると健闘はするが中々勝てないというのが従来の錦織だった。マイケル・チャンは錦織の体を鍛え直し、スタミナを付け、ベースラインで打ち合うという戦法をとることで、錦織の強みを一層磨いてトップ選手に負けない実力をつけた。
 
 錦織の強みは14歳から米国で修行したので、言葉や生活の点で海外で暮らすことのハンディがないことだ。マイケル・チャンにコーチを依頼してうまくいったのもコミュニケーションに問題がなかったことが考えられる。しかし錦織は変な外国かぶれの日本人ではなく、日本語でのインタビューにもきちっとした対応ができる。彼のインタビューを聞いていつも感じるのは、英語が上手いだけではなく立派な日本語を話すことだ。日本で育ち、練習を積んだ選手でも彼ほどきちっとした言葉で明快に話すことができない選手はたくさんいる。

 このことはいつから英語の勉強を始めるべきかという昔からの議論に重要な点を示唆していると思う。錦織のように日本語を完全にマスターしてから外国に行くということのメリットだ。中学を終わるまで日本にいることで日本語でモノを考える(正確には物事の本質を考える)能力をつけてから英語の暮らしをすることで、英語でモノを考えることの利点(それは出来事や事象そして自らの考えを論理的に言葉であらわすということ)を身に付け、その習慣を日本語で話す時に生かすとことが出来ていることだ。いたずらに早く英語の勉強を始めても、日本語が正しくできなければモノを深く考えることができず、結局中途半端な人間になってしまう。このあたりは通訳で英語学者として著名な鳥飼玖美子氏主張していることで、わたしも全く賛成だ。(このことはまた改めて議論したい)錦織と同じように中学卒業後米国に渡りゴルフの修行をして、米国PGAの試合で勝った今田竜二が話すのを聞いていても同じことを感じるから、この点は外国語を学ぶそしてそれによって日本語をうまく使えるようになるやり方を示したものと言えるかもしれない。

 一方で松山は日本でゴルフを学び、大学を卒業するまでアマチュアでやり(もちろんプロの試合にも出ていた。マスターズのベストアマになったのは有名である)それからプロになった。日本での実績をベースに海外の試合に挑んだという従来の日本選手のアプローチをとったが、従来の日本選手と異なるのは実力が桁違いだったことだ。日本でプロ転向一年目に賞金王になり、米国PGAツアーのメンバーになった年にメジャーに次ぐとも言われるメモリアル・トーナメントで勝ったのだ。

 錦織と違いゴルフ選手としてアメリカやヨーロッパの選手に引けを取らない肉体を持っている。また精神的にもふてぶてしいほどに落ち着いて見える。(実際のところはよく分からない。もしかしたら本人はかなりナーバスになっているのかもしれないが全然そうは見えないし、そのことが重要なんだと思わせる)ゴルフの才能に加え、精神的にも強いと感じさせる松山は、近いうちに二勝目を挙げメジャーでも大活躍しそうな気がする。
 そんな松山の弱点はコミュニケーションだろう。元々日本語でもあまり話さないようだが、最近は日本語でのインタビューにはそれなりに対応できるようになってきた。正確な言語化が苦手な典型的な日本の若者だったのが、少しずつ正しい言葉を選んで意思疎通をすることができるようになってきたところだ。しかしこの点では錦織の方が優れている。松山は英語の勉強もさる事ながら、日本語できちっと気持ちや状況を説明出来るようにならなくてはいけない。米国がベースなのだから英語が出来たほうが良いのは事実だが、日本で育った青年にいきなりそれを求めてもしょうがないと思う。

 日本のマスコミには松山の英語力を取り上げて非難する記事もあるがわたしはもう少し長い目で見るべきだと思っている。彼はゴルファーとして米国に渡り世界を相手に戦っているのだ。ゴルフで良い成績を上げるのが仕事で英語はその後の問題だろう。彼を見ていると昔の国際的大スターと言われた三船敏郎を思い浮かべてしまう。まだ日本が世界の一流国ではない時代にハリウッドでも活躍した三船は日本人が誇れる唯一の映画スターだった。寡黙で無骨な感じは松山にも共通する。彼がゴルフでもっと活躍すれば言葉の問題はあっても一流選手として認められるはずだ。つまらない揚げ足取りをする記事を見ると、貧弱な肉体を持った記者がタフな松山を羨んで意地悪く書いているようにすら感じられる。
 もっともなによりも話すことが重要視される西欧の社会だし、プレゼンテーションで能力を判断されるような米国だから、早く簡単な英語で意思疎通ができるようになって欲しいと思う。

 最も手っ取り早いのは日本人ではないガールフレンドを持つことだ。こうすればいやでも英語を使わなくてはならない。女性ファンという点では石川遼にかなわないが、それは日本の話で米国ならいい勝負ができるはずだ。松山のような体を持ち、浅黒く精悍な男性は欧米ではもてるからだ。松山をセクシーだと思う女性はたくさんいるはずだからガールフレンドもきっと作れる。そうすればゴルフジャーナリストのインタビューなんか恐れなくてもいいようになると思う。

 2015年のスポーツ界はこの二人から目を離せない。もちろんジャンプの高梨沙羅ももうワールドカップで2勝しているし、大相撲では逸の城と遠藤のライバル争いもあるし、野球が始まればダルビッシュと田中の活躍が期待できる。実力のある若者がたくさんいてわたしたちを夢中にさせてくれる。サッカーだけがいまアジアカップをやっているが、新しい選手があまり出てこないようで残念だが応援していきたいと思う。